「文学横浜の会」

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2022年04月07日


L『何処に』 日向武光

<書き込まれた感想>

遠藤さん 2022/2/28 08:52 投稿

何処へは、幼年期の子供が遊び場を探している様子が書かれています。今と違ってまだまだ遊び場に困らない田舎での様子が文章から伝わってきます。
いくつか感じたことを記します。
方言に標準語の注釈は要らないと思います。
ある程度分かります。
最後の部分が今ひとつ分かりません。『どこに行けば自由に好きなだけ遊べるところがあるのだろう。』
とあり、
『何処に? 人は行くのか?』
となります。
この部分は筆者の一番言いたい箇所だと思うのですが、今一つ問題提起とその答えが一致していない気がします。
それと、長友正志との因果関係が分かりません。
長友少年と筆者との関係性が単に上級生と下級生との関係以外に何かあったのか?
長友少年がその後どうなったのか?
などの想像をしたりしましたが、分からずじまいです。
ある程度テーマを絞って、そこに絞って書いたほうがいいと思います。
長さに比べて、登場人物が多いと思います。

浅丘邦夫さん 2022/3/12 19:04 投稿

人はどこから来て、どこに行くねか。?万人の解けないテーマです。

中谷和義さん(89m0k1ox)2022/3/21 13:22 投稿

父のいない主人公の進一には、子どもたちの石合戦をひと言でやめさせた正志が父に代わるロールモデルに見えたのだろうか。新聞は配達されず集配所に取りに行くとか、落ち穂拾いのお金で教室用の品々を買ったとか、昔の田舎の暮らしが垣間見える記述が楽しい。

清水 伸子さん 2022/3/22 15:42 投稿

昭和の時代の懐かしい日本の情景、子どもの遊びや日常などが良く描かれていると思いましたが、最後の部分はやや唐突な感じがしました。

森山里望さん 2022/3/28 16:53 投稿

最後の「人はどこから来て…」の一文から、ポール・ゴーギャンの有名な絵「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへいくのか」を思い浮かべました。それがこの小説とあまりに世界観が違うせいか、この問いの投げかけの意が私にはわかりませんでした。
子どものころ、秘密基地めいたものは、私も男の子にまじって作りました。あの子どもにしか持つことができない不思議な高揚感をちょっと思い出しました。子どもにとっての宝や秘密は、大人からすれば大体は意味のないくだらないもの。子どもと同じではいられないけれど、子どもの心の目線をわかってあげられる大人でいたいと思いました。

林 明子さん 2022/3/28 23:45 投稿

「大人になる」ことが「大事で立派なこと」であると進一は思ってきました。
でも、竹藪の家を壊され「大人は勝手なことをする」と相反する思いが大きくなります。
人は大人になればいいのか、大人でなくとも真っ直ぐ前を見て生きて行けばよいのか、どこへ行けばよいのか、正解はいくつもあり、それ故に答えは得られないまま生き続けるのが人生であるのかなと思いました。

金田清志さん 2022/3/29 06:53 投稿

戦後昭和の懐かしい「子供の世界」を思い出しました。
60年以上経った現在、全国にあったそんな風景は今どうなっているんでしょう。何故か、テレビ番組「ポツンと一軒家」を思いました。
「何処に?」の問いは、人はどうして生まれ、生きて、そして〜、と問い掛けられているように思った。

山口愛理さん 2022/4/1 14:22 投稿

郷愁のある文章。自然描写も綺麗です。ただ、最後に長友正志が割と重要な役割で出てくるので、中盤もっと彼を登場させて会話させるなどしても良かったのでは。なぜそこまで進一が彼に憧れの気持ちを抱くのかを、もう少し描いて欲しかったと思いました。

石野夏実さん 2022/4/2 15:49 投稿

子どもの頃の、70年近くも昔のことなのに、その記憶量と正確さに感嘆しました。自然描写の細やかさに助けられ、鶯の鳴く山里に誘われます。地名も、家を出る時間の詳細も、学校までの細かい道々の様子も、部落の様子も。特に集合新聞受けの話や水くみ場の話などとても興味深かったです。
P.163で中学2年生の長友正志が登場するまで、進一のことを小学生高学年かと思っていました。子供と書かれていたので小学生だと思っていました。長友の1学年下の中学1年生だったのですね。登場人物は、少年ばかりでした。
石合戦や竹を使って自分たちの家作り。石合戦は危ないですが、秘密の家作り、こちらはおそらく、どの子も夢中になって作ったことがあると思います。それなのに、おとなによって壊され跡形もなく元の竹の土手にもどされてしまっていた。
一番悲しいです。楽しみを奪われてしまったのは。ただ、最後のページの「何処に?人は行くのか?」と、それまでのずっと書かれてきた話との脈絡が理解できにくかったですが自分なりに解釈しました。
(大人の仕業を排他と受け止めたとしても、少し飛躍しすぎているようにも思えましたが)進一少年にとって長友正志は、体も大きくカッコよく、一番の憧れだったのでしょう。
長友は、何処へゆくのだろう。どんな生き方をして大人になっていくのだろう。
苗字が複雑な長友だけでなく「どの人も、どんなふうに生まれて、どのように生きていくんだろう」の解釈でもいいでしょうか。。。

佐藤直文さん 2022/4/2 19:41 投稿

竹を編んだ小さな自分だけの家はこの上なく安心する。上野駅公園口前のビニールハウスも「山狩り」では壊される。安心できる場所は「何処に」あるのだろうか。石合戦はおそらく石器時代もあったろう。今、ウクライナでは砲弾が降ってくる。戦うか逃げるか。逃げるにしても「何処に」逃げたらいいのだろう。片道1時間以上の通学、水を汲み運ぶ手伝い、そんな過酷な毎日も今となっては、美しい日々だったと思われるのでしょう。真実を伝えており、感動しました。

太田龍子さん 2022/4/3 11:32 投稿

子どもたちの遊びの様子が細かく活写され、会話の方言が効果的で惹きこまれました。壊された遊びの家を見て無常を感じるような体験は私もしたことがあるように思います。

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