「文学横浜の会」

 「掲示板」の内容

評論等の堅苦しい内容ではありません。
テーマになった作品について参加者がそれぞれの感想を書き込んだものです。
  

2023年01月17日


「城崎にて」志賀直哉

<「掲示板」に書き込まれた感想>

阿王 陽子さん (8m440l1j)2023/2/22 07:55

「城の崎にて」感想   阿王 陽子

一、この作品を読んだ読後感
この作品は、以前に中学だったか高校だったかでテストの題に出た作品で、読んだことがあったが、二十数年ぶりに今回改めて読んだ。
志賀直哉の文章は簡潔で明快でありながら端正なイメージがあった。久しぶりに読んでみて、令和の今に読んでも、決して古臭くない、色褪せない魅力を感じた。
蜂、鼠、イモリ、と、身近な虫、動物などの生き物を登場させ、いたずらな死を描いている。作者が当時感じていた死へのおそれを身近な生き物たちを登場させながら、克明に描き、「生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった」と、生物である限り、死と生はとなりあわせなのだ、と述べている。

二、この作品のすぐれているところ
「生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった」と、あるように、蜂、鼠、イモリはいたずらに死ぬ様子が描かれている。作者は生と死はとなりあわせで、死に対して親しみを感じているが、鼠の最期を見たくなかったり、イモリを殺す結果になってしまったのを作者は後悔している。また、最後、「自分は脊椎カリエスになるだけは助かった」と、九死に一生を得たことを安堵している。
死がいつでも身近にあることを感じながらやはり生にしがみつきたいとする、生き物としての宿命を感じていると思う。

本作品は短編ながら、いや、短編であるからこそ、無駄なものを削ぎ落としたような、名作になっていると思った。

港 朔さん (8ft3zlgx)2023/2/22 21:23

自分が文学というものを読み始めたのは白樺派の作品からで、武者小路実篤の小説が最初だった。それから山本有三、有島武郎、志賀直哉などを読んだ。
武者小路実篤は開放的でとても正直な人で、そこに引き込まれて多く読んだ記憶がある。山本有三は、その真面目さ、真面目に悩んでいるようなところに惹かれた。
有島武郎は、そのころの自分にとってはわかりづらい作家だった。彼はキリスト教徒だから思考回路はつねにそれに支配されていたのだろう。そうでなくとも他の白樺派の作家たちよりは難しいことを書いていたように思う。彼はその後、自分の私有地を貧農に開放した。そのような行為がキリスト教の教えにあることは知っているが、それを本当に実践した人は他に知らない。私にとって有島武郎は、単に文学者にはとどまらない高みへと昇った。

志賀直哉は『清兵衛と瓢箪』を教科書で読んだと思う。今回の課題図書『城の崎にて』は、文庫本で、他のいくつかの短編と共に読んだ。高校生だったと思うが、その時は感動した記憶がある。感動の内容は文章についてのもので、簡潔な文体を美しいと思ったからだった。
『城の崎にて』のあらすじは ‥‥ 脊椎カリエスの恐怖で、城崎温泉へ行って三週間の養生をする。その養生の期間、暇にまかせて蜂とネズミとイモリの死を目のあたりにし、併せて自分の死について深く考える ‥‥ という構成である。しかし自分なら、この程度のことで温泉養生という発想自体が湧いてこない。『城の崎にて』は、約五十年を越えての再読となるわけだが、昔覚えたはずの感動はもうなかった。しかし改めてよく(2回目を)読んでみると、簡潔な名文の傑作という気もしてきた。志賀を高く評価する人たちは、そんなところに注目してのことなのだろう、と思った。
志賀直哉は、変に悟りきって落ち着いた、また大人(たいじん)ぶったところがある。そんなところに幻惑されてマスコミもそれに輪をかければ「これは素晴らしい」と思い込んでしまう、というところがあるようだ。自分がハイティーンの頃、志賀のファンであったことを顧みて思ったことである。

★ 高田瑞樹氏の解説「『小僧の神様・城の崎にて』について」について ★
上記解説には、とても気になるところがあった。本書(新潮文庫)所収の『山科の記憶』に関する部分である。ある「プロの女性」との逢引のあと、奥様の待つ自宅に帰った場面についての解説である。余裕があれば、直接作品を読んでいただければ、と思います(10頁の作品だから比較的楽に読めると思います)。
次に引用させていただく。
◎ ≪引用A(新潮文庫p.310)≫ 「妻は頭から被った掻巻の襟から、泣いたあとの片眼だけを出し、彼を睨んでいた。それは口惜しい笑いを含んだ眼だった」 / 重苦しい悶着の始まりである。しかし、それでいてこの描写の何という端麗さであろう。
◎ ≪引用B(新潮文庫p.312)≫ この一連の作品は、いわば壮年期の試行錯誤の記録である。その間、どんな理屈を並べ立てても「自分が弱者の立場に立つこと」をまぬがれなかった「彼」が、それでいて、結局思い通りの行為をやり通したのであった。そして、出来事はかえって「彼」とその妻との結びつきを深くした。対立は全体として静かであった。

私の感想を言わせていただくと、とてもそのようには感じられない。
(Aについて) ‥‥ 「奥様は ‥‥ 片眼だけを出し、睨んでいた。 ‥‥ 」のである。もし私に同じことが起こったとしたら、それはとても怖ろしいことである。その後に生起するであろう場面を想像すると、どこかに逃げ出したい衝動にかられるだろう。これを高田氏は「端麗」な描写と述べておられる。私には「端麗」どころではないと思われるのだけれど ‥‥ 。私としては、男性はもちろんですが、女性の方にはとくに感想をお尋ねしたい気持ちです。高田氏が感じられたと同様の「端麗さ」を感じるでしょうか。
(Bについて) ‥‥ 「弱者の立場に立ちながら、思い通りをやり通した」とあるけれど、これは何かの間違いではないか、と思う。「『自分が弱者の立場に立つこと』をまぬがれなかった」とあるが、これも何かの間違いではないだろうか。「彼」は常に強者で、それも絶対的な強者であったが故に、平然と奥様の泣き顔を直視して、まるで静物を観察するかのごとき叙述をすることができたのではないか、と私は思う。そして解説者は「それでいてこの描写の何という端麗さであろう」と ‥‥ また「出来事はかえって『彼』とその妻との結びつきを深くした」と叙述する。
私の解釈は全く異なる。以上のことは、絶対弱者の奥様が、子供や親戚や家族全体のこと、またここで自分が崩れたらどうなるか、などさまざまに損得勘定なども考慮して、全面的に一方的に我慢する道を選ばざるを得なかったからであって、けっしてめでたく解決したわけではない。その間、奥様は苦しみ、今でもその苦しみが無くなっているわけではないはずである。失礼ながら、作者も解説者も、なにもわかってはいらっしゃらないのではないだろうか、と思ってしまう。
私の感覚が異常なのだろうか、皆さんの御意見をお伺いしたいものです。

☆★☆ 太宰治『如是我聞』を読んで
志賀直哉の短編集を読んで、さまざまのことを感じたところで、太宰の小品『如是我聞』を思い出したので、読んでみた。太宰が死の間際にやけになって書いた、取るに足らない小品、ということになっているようだが、読んでみたい衝動が生じたのである。
予想通りだった。太宰は、ただやけになっているわけではない。作家として生きてきた十数年間、ずっと考え続けてきたことなのだろうということがよく分かる。「死ぬ」ということが現実的になってきて、どうしても書き残しておきたかったのだろう。この頃の太宰は、体調もわるく借金で苦しめられ、さっちゃん(山崎冨栄嬢)との心中の約束もできていたようで、多分に酩酊気味だが、だから取るに足らないとは思わない。太宰の気持ちがとてもよく分かる気がした。

いいまほり ゆうささん (8n2ifxzr)2023/2/23 14:46

阿王さん、港さん
投稿ありがとうございます。
港さんご指摘の「山科の記憶」についてですが、これは「瑣事」「痴情」「晩秋」と合わせて四部作で、浮気の転末を書き記したものですね。弱者強者の表現に関して私は二人の関係性の中で、浮気をして後めたい気持を持っている事をさして弱者と表現し、何らの落ち度もなく彼を責めて当然の立場にいる妻を強者と感じたのではないかと思いました。確かに物議を醸す作品だとは思いました。

石野夏実さん (8n2u50js)2023/2/23 20:14

<感想>
「城の崎にて」(岩波文庫本「小僧の神様」他10編作者自選短編集)は、ページ数にして10ページほどの短編である。正確で細微な描写文体は、余分な装飾がなく簡潔明瞭で脳に直視的に訴える。
文庫に収められている他の短編と比較しても、より写実的でストレートでシンプルである。志賀本人も良い小説とは「情景が目に浮かぶのが良い小説」と定義しているが、それだけではなく、氏の小説は他のどの短編の中にも明確なテーマがある。
「城の崎にて」のテーマは「命(生)と死」であると思うが、それは「無情」であり「無常」でもあると感じた。

この短編集の中では「小僧の神様」が一番好きであった。良いことをしたはずなのに、何か割り切れない淋しい変な感じは、行動を起こしたほうの当事者として、何度も体験したことがある同感の感情であった。人情やお節介の類であろうか。
「城の崎にて」は、山手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした〜という文から始まる。その後養生にひとりで城崎温泉に長期滞在した自分(一人称)が主人公であるので、随筆とも思えなくはないが、事件があってから4年経過後(漱石死後)の、きちんと構想を立てての小説であろう。

※1913年8月15日上京した際に山手線に跳ね飛ばされ重傷→12日後退院
     10月城崎温泉へ  
     12月末に武者小路実篤を介して漱石から朝日新聞連載小説の依頼
 1914年正月 漱石を訪問 
      7月 上京して漱石に辞退申し出。以後休筆
 1917年   執筆再開「城の崎にて」(漱石の死後)       

※※課題本の「城の崎にて」を読んでいたら文中に「范の犯罪」の話が書かれていた。また、この岩波文庫にも収めらている。これは、かなり以前に読書会で取り上げられたのを思い出し調べてみた。当番はクリスチャンの浅田(浅丘)さんで、2012年11月のテーマ本だった。裁判長は「無罪」にしたのであるが、難しかったのだけ覚えている。殺人という行為における「罪」と「罰」を考えさせられる話であった。

藤原芳明さん (8anlb1x6)2023/2/24 13:10

1. 名文の代表として
 谷崎潤一郎は『文章読本(1934)』のなかで志賀直哉の『城の崎にて(1917)』の文章を名文の例として引用している。例の屋根の上に残された蜂の死骸を観て「淋しかった」とだけで表現した箇所だ。同じ文章の達人でも谷崎の文章と志賀の文章ではまったく異なる。谷崎のつるつると磨きあげられた艶のある文章と、志賀の短くごつごつしたぶっきらぼうにも思える文章とでは天と地ほどの違いがある。にもかかわらず谷崎が志賀のこの文章を褒めていることを不思議に感じた記憶がある。達人だけにしか感得できない文章の極意なのだろうか。
 もうひとつ丸谷才一が自著『文章読本(1977)』のなかで、志賀の『焚火(たきび)(1920)』の一節をやはり名文として紹介している。
「Kさんは勢いよく燃え残りの薪を湖水へ遠く抛った。薪は赤い火の粉を散らしながら飛んで行った。それが、水に映って、水の中でも赤い火の粉を散らした薪が飛んで行く。上と下と、同じ弧を描いて水面で結びつくと同時に、ジュッと消えて了う。そしてあたりが暗くなる。それが面白かった。皆で抛った。Kさんが後に残ったおき火を櫂で上手に水を撥ねかして消して了った。」
これなら私でも優れた達意の文章だとわかる。情景が眼の前にありありと浮かんでくる。

2.随筆のような小説
 五十年も昔のことだが高校の現国の教科書に志賀直哉の『網走まで(1910)』が載っていた。汽車で偶然乗り合わせた乗客たちの様子を観察し、その感想を淡々と描いた作品である。その描写は作者の主観、とくに好き嫌いの基準で色濃く塗られていた印象だった。私はこんな身辺雑記のようなものが小説と呼べるのだろうか、随筆との違いはなにか、と疑問に思った記憶がある。
 今回の『城の崎にて』を何回か読んで、やはり同様の感想を抱いた。もちろんこの作品には、作者が列車事故で重傷を負い、その体験から身近に感ずるようになった死への視線がテーマとしてあることはわかる。しかし私にはどうもこのドラマ性に乏しい小説がぴんとこないようだ。

3.枯れた表現ばかりではなく
 志賀直哉の文章や作品には贅肉がなく、短く、淡々とした印象がある。どちらかと言えば、陰気で不機嫌な枯れた表現が多い気がする。しかし、ときに奔放で詩的なイメージの表現を見つけることがある。新潮文庫『小僧の神様・城の崎にて』には『痴情(1926)』という作品が収録されており、そのなかにつぎのような箇所がある。
「女には彼の妻では疾の昔失われた新鮮な果実の味があった。それから子供の息吹と同じ匂いのする息吹があった。北国(ほっこく)の海で捕れる蟹の鋏の中の肉があった。」
 開高健のエッセイのどこかに、若き日の開高が志賀直哉のこの文章を読み、「北国の蟹のような女」とは一体どんな女なのかとあれこれ思いめぐらすという場面があった。私はかなりエロティックな想像をした。

金田清志さん (8ilzdpuq)2023/2/24 18:14

「城の崎にて」感想

 「城の崎にて」は多分、中学か高校の時に読んだ。教科書に載っていたからだと記憶している。
読む前から作者は名文家として知られていて、優れた短編作家、との知識というか、そんな風に知られていたので集中して読んだ記憶がある。

その時の読後感は「なんだ、ただ都会人が地方の温泉地で療養するだけの話ではないか」との印象だけで、どうして名作なのかよく解らなかった。
当時は芥川の「鼻」とかの内容的に動きのはっきりした面白い小説がとっつきやすかったのだと思う。

しかし何時か「城の崎にて」をまた読んでみたいという気持ちは心の中に残っていて、今回その機会に恵まれたのは当方にとって幸いだった。

一読して、即座に「この小説は運命とか死をテーマにした名作に違いない」と確信した。
若い時は「人はいつか必ず死ぬ」との認識は希薄、或いは感じていないからそんな事は読み取れなかったのだろう。
それが自分の未熟さであり、若さだったのかも知れない。

 主人公の年齢ははっきり書かれていないが、当時の高齢者だと思われる。
 物語は主人公が怪我をして城崎温泉に後養生に出かけるところから始まる。主人公は事故の後遺症として脊椎カリエスになるのでは、との恐れを抱いている。脊椎カリエスになれば生死に関わる致命的だと思っているようだ。

主人公は城崎温泉で療養中、付近を散策中、3つの「死」を目撃する。蜂、鼠、イモリの死である。
それを見る作者の目は透徹である。

蜂の死の原因にはふれていないが自然死ともとれ、
鼠の死は不慮の死で、もがきながらの死であり、
主人公が何気なく投げた石がイモリにに当たっての死んでしまうが、不意の死だと主人公は思う。

自然死以外は不慮の死であり、不意の死であろう。つまり事故死、病死等だ。

それらをみて主人公は事故に遭って死ななかったのも、脊椎カリエスにならなかったのも偶然であり、「自分は偶然に死ななかった」のだと思う。
人間といえども自然界の生き物と同じように、運命の下に生きている。

作者はそんなような事を書きたかったのでは、との感想です。

山口愛理さん  2023/2/26 11:04

『城の崎にて』を読んで
何十年も前の遠い記憶で定かではないが、梶井基次郎が志賀直哉の小説が好きで(どの作品かはわからない)、一字一句たがわず書き写して学んだ、というのを何かで読んだことがある。私は感性豊かな梶井小説の大ファンだったので、梶井が淡々とした志賀の小説のどこに惹かれたのか当時はわからなかった。
が、今回読み直してみて、特にこの『城の崎にて』については、淡々とした表現の中の奥深さに感銘を受けた。重い肺病で感覚が研ぎ澄まされていた梶井は、そこに惹かれたのかもしれない。小説はこう始まっている。
山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉に出掛けた。(実に淡々とした書き出しだ。ぶっきらぼうなほどに。)
「自分」は脊椎カリエスになるのを避けるため温泉養生に来て、「既に死んでいる蜂」「死にそうだが必死に生きようとしているネズミ」「自分が投げた石により今死んでしまったイモリ」に遭遇する。この三つの生死と自分が置かれている立場を考え、蜂もネズミもイモリも自分もみな同じ生物であり、病や事故や死は等しく偶然の産物であることを体感として感じ取ったのだろう。小説後半にあるように、死と生は両極ではなく、さほどの差はないものなのではないかと。更に言うなら、今「自分」が偶然にも生かされていることのありがたさについても。小説はこう結んでいる。
三週間いて、自分はここを去った。それから、もう三年以上になる。自分は脊椎カリエスになるだけは助かった。(またもや淡々とした結び。だが書きすぎないことによって余韻が残る。)
『城の崎にて』のテイストは島木健作の『赤蛙』に似ていると思った。『赤蛙』では病気療養中の主人公が、対岸に渡ろうとして徒労に終わるかもしれない努力を繰り返した末に死んでしまう赤蛙を見続け、運命に挑戦するその崇高な姿に感動するという話だが、『城の崎にて』の三匹の小動物の死はもっと静かだ。負傷しているネズミだけはもがくが、赤蛙とは置かれている立場が違う。『城の崎にて』の主人公も、淡々としながらも生きることの意味と重さを知る。二作を比較すると面白いと思った。
本作はもとより、その他の作品でも、『焚火』『真鶴』『濠端の住まい』などの自然描写の美しさや、まさに目に浮かぶような情景描写は素晴らしいと思った。この点も昔はあまり気づけなかったところだ。
ただ、女性がからむ部分になると、ちょっと理解しがたい所が出てくる。志賀は女性不信なのだろうか。『雨蛙』『山科の記憶』『痴情』などは、わざとかもしれないが、そのちょっと女性蔑視的な表現が好きになれなかった。だが約束を忘れて女狐になった妻がオシドリになった夫を食べてしまうという『転生』は異色で面白かった。

和田能卓さん 2023/2/28 11:01

志賀直哉『城の崎にて』を読んで。
 読み進めるうち、死を忘れるな」「生死をもてあそぶな」「死の偶然性と突発性」の三言が脳裏に浮かんだ。プロットを中心に読めば理解しやすい作品であり、読後の感想もほぼ一定なものになるだろう。主題の捉え方は読者個々の感性によるだろうが。
 同じような体験、すなわち思わぬ事故に遭って生命の危機を覚えたということがあり、意匠を凝らしたつもりで書いても、焼き直し、亜流の作と思われるに違いないという気がする。もちろん前提として、その相手が『城の崎にて』を読んでいることが必要だが、それが文章を物する者であるなら、なおさらだろう。
 蜂の死骸、死を予感させる鼠、イモリの死を見て、ゆるやかにクレッシェンドしてゆく自己の死への恐怖は、作品発表時、新鮮な感動を読者に与えただろうと考えるものである。

後藤なおこさん 2023/2/28 11:15

感想

山手線の電車事故で怪我をした主人公が療養のために訪れた 但馬城之崎温泉にて、療養生活の中で触れた自然やそこに息づく生き物の生死を垣間見ながら、自らの死生観を考える話。

緻密で美しい描写が特徴的な文章でした。
緻密であるがため、蜂の骸の描写では死んだ後の無残さを想い、喉に串を刺したネズミが死んでいく描写では鳥肌が立ちました。
その醜悪とも言えるネズミの描写と、怪我を得た自分ができるだけのことをして助かろうとする様子を合わせて書いているあたり、静かだとする「死」と「生」を対極のもののように扱いつつ、最後は自らの手で期せず殺してしまったイモリをして「生きていることと、死んでしまっていること、それは両極ではなかった。それほどにさは無いような気がした。」としています。
「もう帰ろうと思いながら、あの見えるところまでと言うふうに角を一つ一つ先へ先へと歩いて行った」ともありますが、私たちもこんなふうに生きている気がします。そしてその行った先に自然に死がある。
人間の生まれた時から負うている生と死について深く考えさせられる作品でした。

優れているところ

非常に緻密な文章で落ち着いた語り口が、読み手の気持ちを静かに揺さぶります。
情景描写も細やかで、その細やかな中にぞくりとするような生々しい描写が織り込まれています。
10ページと言う短い文章の中にテーマが凝縮されていると思います。

和田能卓さん 2023/2/28 11:25

前の投稿一か所に「を加えました。入れ替えることが出来ず、二度書きします。申し訳ございません。

志賀直哉『城の崎にて』を読んで。
 読み進めるうち、「死を忘れるな」「生死をもてあそぶな」「死の偶然性と突発性」の三言が脳裏に浮かんだ。プロットを中心に読めば理解しやすい作品であり、読後の感想もほぼ一定なものになるだろう。主題の捉え方は読者個々の感性によるだろうが。
 同じような体験、すなわち思わぬ事故に遭って生命の危機を覚えたということがあり、意匠を凝らしたつもりで書いても、焼き直し、亜流の作と思われるに違いないという気がする。もちろん前提として、その相手が『城の崎にて』を読んでいることが必要だが、それが文章を物する者であるなら、なおさらだろう。
 蜂の死骸、死を予感させる鼠、イモリの死を見て、ゆるやかにクレッシェンドしてゆく自己の死への恐怖は、作品発表時、新鮮な感動を読者に与えただろうと考えるものである。

池内健さん 2023/2/28 23:21

志賀直哉「城の崎にて」

小中学校時代、通学途中の道ばたに死骸が転がっているのは珍しくなかった。夜の間に街灯に引きよせられたセミやカブトムシ、車にひかれた蛙や猫など。もし一匹一匹の死に思いを寄せていたら、志賀直哉のような名文家に近づけていたのだろうか。

小さなこともしっかり観察しているから、文章の解像度が極めて高い。
「蠑?の反らした尾が自然に静かに下りて来た。すると肘を張ったようにして傾斜に堪えて、前へついていた両の前足の指が内へまくれ込むと、蠑?は力なく前へのめってしまった」

似たような3種の生き物(トカゲ、ヤモリ、イモリ)を並べて「好き、嫌い、好きでも嫌いでもない」と仕分けできる趣味の確かさは、貴族的といわれるゆえんだろう。そのなかで「好きでも嫌いでもない」イモリを選び出し、感情を抜きにして冷静に「死」そのものをみつめる。偶然死んだイモリと偶然死ななかった自分。その差はあいまいで、まるで温泉宿に向かう薄暗い山道のようだ。

分かりづらかったのは、風もないのに同じリズムで揺れる「桑の葉」の場面。風が吹くと動かなくなる。「原因は知れた」と言われてもわからず、置いてけぼりになった気がした。

あと、タイトルの地名には「城の崎にて」と「の」が入るが、本文の「城崎温泉」は「の」がない。使い分けの理由があるなら知りたい。字面の美観だろうか。

港 朔さん 2023/3/1 20:59

★☆ 2回目の投稿です ☆★
先の私の投稿では、本来は『城の崎にて』のところ、そちらよりも『山科の記憶』に偏って多くを語ることになって、申し訳なかったです。にもかかわらず、いまほりさんと山口さんにはその『山科の記憶』に関連して応えていただきましてありがとうございました。感謝いたします。
『山科の記憶』への私のこだわりは、皆さんの中には理解に苦しんだ方もいらっしゃるのではないかと思います。そのこだわりについてですが、先の投稿の時にはよく整理されていなくて自分でも混乱していたところがあったので、同様の内容ですが、わかりやすく整理して以下に書き直しました。詳しくは例会にて ‥‥ よろしくお願いいたします。

男女の間における浮気というものは、善悪ではなしに現実に存在するもので、人間がある限りこれからもあり続けることでしょう。ところが安定的な社会を維持していくためには野放しにはできないという事情から、道徳的あるいは法律的規制が設けられている ‥‥ それがいま私たちが生活している社会の仕様だと思います。
かえりみて、そのような事態が発生した場合、浮気をした側は引け目があるから弱者ということに一応なるわけですが『山科の記憶』の場合、「彼」はその引け目をなんとかごまかそうとしている、また弱みを見せまいと却って虚勢を張る、ずるいけれどもよくある対応をしているかと思います。小説が書いているのはそこまでですが、ここまでならよくある平凡な場面で、そんなに気になるところではありません。
先の投稿にも書きましたが、とても気にかかったのはその解説の部分にあります。解説では「彼」を絶対的な弱者(本当にそうだろうか)として強引に美化している。またその結末を「『彼』と妻との結びつきを却って強くした(これも、本当にそうだろうか)」として、これもまた強引に美化している。この部分を、≪それは違うのではないか≫と思うわけです。

森山里望さん 2023/3/1 22:42

城の埼にて 
数年前、岩波文庫「小僧の神様 他十篇」で読んでいた。が、心に止まらなかった作品だ。11編のうち小僧の神様、清兵衛と瓢箪、范の犯罪が印象にあり、この三篇は余韻を味わっていたくて、短編集ながらすぐに次を読みたくなかったのを記憶している。
生と死の分岐であったかもしれない山手線の事故に遭遇したことから、のどかな温泉宿に身を置くことで見るもの目に映るもの、小さな生あるものを通して己の生死感を考察する機と時間を得たのか。「死に対する親しみが起こっていた」、「自分は偶然に死ななかった。蜥蜴は偶然に死んだ」、生と死は「両極ではなかった」と、なにか生死について達観しているようにも傍観しているようにもとれて読んだが、最後の一文「自分は脊椎カリエスになるだけは助かった」で、生への執着、命ある事の安堵と戒めを吐露していると思った。

成合武光さん 2023/3/3 20:11

『城の崎』 志賀直哉

まことに有名な作品である。思わぬところで、思わぬ時に話題になる。そしてそのたびに読み直し、粛然となる。考えさせられる。
作者は「死ぬはずだったのを助かった」ところがそのはずもなく、石を投げてイモリを殺してしまう。このことの驚愕は大きい。誠にすまぬと思うだろう。魚串を刺された鼠は懸命に生きようとした。一方に死、一方に生。誰もが自分なりの考えを見出すしかないものだろう。どのように考えるかは、その時々の想いによることも多いだろう。そして作者は「それは両極ではなかった。それほどの差はないような気がした」と結んでいる。これもその時の作者の感慨であろう。死は生の先にあることは確かだが、死から生には戻れない。死の世界はだれにも分からない。死はいつどこで出会うかも分からない。そのことだけは知っていなければならない。この作品を読むたびにそう思うことです。 
果たして、これは小説なのか、随筆なのか、教えて下さい。     3/2(金)

津曲稀莉さん 2023/3/4 21:12

・ジェラール・ジュネットは、従来の視点の議論を「誰が見ているのか/誰が語っているか」という観点から、パースペクティブ(焦点化)という概念によって重層化し、次の三つに分けた。
@焦点化ゼロ=いわゆる全知の視点
A内的焦点化=語り手が知覚している情報と、登場人物の知覚している情報とが一致している視点
B外的焦点化=登場人物の思考・感情・感覚などを描かず、外面しか描かない視点

・全知の作者が持っている謂わば「完全情報」に視点人物の心理が変化・接近していく過程、作者と視点人物の心境が最終的に重なっていく過程を書いていくパターンが近代文学には多く見られる。登場人物の無知から知への移動とも言える。
・これによって、全知の作者が無知の視点人物≒読者に啓蒙する構造が可能になる(特に白樺派の人間肯定、人間賛美、影響を与えたトルストイ)。
例:山手線に轢かれる→生/死という絶対的な関係を自覚する自分(その道程として語り直される蜂、ねずみ、イモリ)。
例:『和解』父親と和解したパースペクティブから、視点人物の和解に向けての語り直し(語り直し=小説の中で主題を解決してしまう漱石には見られない視座)
⇔(批判)読者、登場人物を敢えて無知化(H.S.ニールセンで言う視点の制限)しているという点が、自然主義派からの批判だった?

・補足@: 現代の純文学は作者と視点人物の持っている情報量に差がない(視点の制限がない)ことが特徴と言えるのではないか?
例:『コンビニ人間』『破局』(『異邦人の影響下にある系列)
⇔逆に、視点を制限すると作者と登場人物の情報量が極端に大きくなって、図式的になりやすい(石原慎太郎の言う「身体性」、『共喰い』を評価して『道化師の蝶』を下げた理由)
例:『道化師の蝶』『推し、燃ゆ』『荒地の家族』『むらさきのスカートの女』
・補足A:ミステリーにおける松本清張以降に出てきた新本格派の直面した後期クイーン的問題(法月綸太郎が指摘)

【参考文献】
『テクスト分析入門』
『物語論 基礎と応用』
『志賀直哉の小説における人称』(https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/2/21427/20141016140934218644/kokubungakukou_188_15.pdf)
・志賀直哉関連:『志賀直哉はなぜ名文か?』

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