「文学横浜の会」

 「掲示板」の内容

評論等の堅苦しい内容ではありません。
テーマになった作品について参加者がそれぞれの感想を書き込んだものです。
  

2023年11月07日


「ヘリオトロープ、沈丁花」吉屋信子『花物語(下)』より

<「掲示板」に書き込まれた感想>

池内健さん 2023/10/11 15:45

吉屋伸子「花物語」について

「沈丁花」
 最初、文章があまりに古くさくてびっくりした。「ここに多数の地上の人類の中から、特に選ばれたかと思わるる受難者達の一家があった」という書き出しからして、大げさ過ぎないか。そう思いながら読み進めていくと、次第に臭みのある表現がクセになっていく。シュテファン・ツヴァイクの伝記物に似た感覚だと思う(代表作「マゼラン」は「始めに香辛料ありき」という断言で始まる。ツヴァイクも流行作家だったが「通俗」と言われ、独文学業界ではいまも研究対象と見なされていない)。
 内容では、見た目は地味でも甘く爽やかな香りを漂わせる沈丁花のような君恵が胸に迫る。最愛の妹のために生きた短い生涯は不幸だったかもしれないが、「無駄であった」「報われなかった」とは思わない。

「ヘリオトロープ」
 こちらは文語体で現在の一般的な文体と異なる分、かえって文章の古くささは感じず、素直に読めた。時空間を遠く隔てた「南の夢多き領土」の悲恋は本来、日本の読者には縁遠いものだが、関東大震災と詩中の火山噴火の類似性によって身近になっている。奴隷の乙女の悲しみは、「献身的な愛」という花言葉を持つヘリオトロープの題名をもつ作品にふさわしい。  

<Q1>文芸性・社会性について
「文芸性」はエンターテインメント性、物語性と対比されることが多く、表現の美しさ、斬新さを重視することだろう。だとしたら、自作では意識していない。「社会性」は、世の中で起きていることと関連づけることだとしたら、意識はある。しかし、社会のゆがみを糾弾する、理想の社会像を提示する、という意味なら意識していない。
今回の吉屋作品は、花のイメージを膨らませるところからスタートしたこともあって表現が乙女チックで、のちの少女漫画などに与えた影響も大きかったのではないか。一方、当時の社会に対する異議申し立てといった意識は感じられない。したがって文芸性は高く、社会性は高くないと思う。

<Q2>タブーの演出効果
女性同士の恋愛を特別視しないから清らかな世界が描けるし、作者も読者もそれを望んでいたのではないか。「タブー視」を持ちこむとまったく別の世界になる。読者層も変わってくるだろう。

<Q3>男女の同性愛の違い
 歴史ドラマでは血統の断絶が戦乱につながることが多い。家督の安定的な相続は社会秩序に直結していたわけで、男性が支配する社会では、男性の同性愛は生殖を妨げるもの、つまり社会秩序を乱すものとされた。その意味でいえば女性の同性愛はこれまで社会秩序への影響が少なく、「省みるに値しない」状況はあったと思う。
 そもそも、女性有名人の総数自体が男性に比べて少ないので、サンプル数も少なくなる。今後、女性の社会進出が進めば有名人も増えるだろう。ヨーロッパの女性政治家ではアイルランドのヨハンナ・シグルザルドッティル元首相、セルビアのアナ・ブルナビッチ首相が同性愛を公言している。

里井雪さん 2023/10/12 07:59

池内様>

 感想ありがとうございます!
 本作品を出す際、「低俗性」の指摘は気にしておりました。「古めかしい」とお感じになられたのは、それだけ時代が経ったということなのかもしれませんし、大仰にすることでのエンタメ追求もあったのかもしれません。いずれにせよ、美しさや文芸性というご評価に少しホッとしております。

上終結城さん 2023/10/26 18:15

1.吉屋信子『花物語』(1916〜1924)
 はじめて読む作家でした。これまで私のアンテナには引っかからなかった作家です。今回こういう作品世界があることを知る機会になりました。また解説を読んでガーリッシュ(少女のような)という言葉も知りました。ちなみに手元にある奥野健男『日本文学史−近代から現代−』(中公新書。ここでいう現代は1970年頃)で探しましたが、名前が(見事に)でてこない作家でした。ご紹介ありがとうございます。

2.設問について
<Q1>創作では文芸性、社会性を意識するか
 偉そうなことをいいますが、創作するうえで「文芸性」は意識します。多少なりとも文芸的に優れた作品にしたいものだと願います。一方「社会性」(社会や体制に対するメッセージ性)はあまり意識しません。
 二十代の頃は「人生いかに生きるべきか」を問うような作品に惹かれましたが、ある時期からそのようなものから離れていったようです。やがて、作品のスタイルやテーマはこだわらず、ただ人間を深く洞察した作品を好むようになりました。その意味で、司馬遼太郎の歴史小説や池波正太郎の『鬼平犯科帳シリーズ』などは人間洞察に優れ、かつエンターテイメントとしても一級品と感じます。

<Q2>女性同士の恋愛をタブー視することの演出的効果
 たとえば谷崎潤一郎の『卍』(1931)は女の同性愛を、当時としてセンセーショナルな効果を見込んで描いています。『花物語』(1916〜1924)の時代も当然そのような社会的雰囲気と思いますが、ここでは不思議にも、女同性愛が自然なこと、当然のこととして描かれています。ただし『花物語』にエロティックな要素はありません。
 文学の世界ではあまり思いつきませんが、映画の分野ではつぎのような事例があります。
@『噂の二人』(1961。ウィリアム・ワイラー監督)。女学校を経営する二人の女性(オードリー・ヘップバーンとシャーリー・マクレーン)が同性愛関係にあると噂され窮地に立たされる、というストーリー。この頃は米国で同性愛が特別視された時代。

A『マルホランド・ドライブ』(2001。デイヴィット・リンチ監督)。登場する二人の女性(ナオミ・ワッツとローラ・ハリング)のからみが秘密めいた淫靡な雰囲気で描かれます。ただしからみの描写は自然で背徳感は少ない。

しかし時代は変わり、現在なら同性愛の女性が主人公でもあまり違和感なく受け入れられると思います。その意味で、
B『バウンド』(1996。ウォシャウスキー兄弟監督)の主人公である二人の女性(恋人同士)はその先駆けでしょうか。ただし主人公は、観客がカッコイイと思う女性であることが条件です。この映画で二人はギャング組織に挑戦します。

<Q3>これまで女性の同性愛が取り上げられなかった背景
 やはり社会が男性中心に決められてきたことが大きいと思います。同性愛者は男女とも同様の割合でいると思われますので。
 一方、日本では伝統的に衆道(男色)が当然のこととされてきた歴史があります。山本定朝の『葉隠』では武士にとって女色よりも男色が精神的で高尚と認識されています。それだけ日本人にとって男同士の恋愛は身近だったともいえます。

3.作品について
(1)『ヘリオトロープ』の文語体
 文語体は日本語として歴史が古く、文体の型が完成しています。とくに韻文(詩)や人物のセリフを記述する言葉として、口語文では表現できない力強さとリズムがあります。音読しても、楽曲として歌う場合も心地よいのです。『ヘリオトロープ』の文語体(とくに詩)にもそのよさがでています。
 余談ですが、ノルマンディー上陸作戦(1944年6月6日)の作戦開始を、英国BBCがフランスのレジスタンス向けに暗号放送した際、使われたヴェルレーヌの詩をドラマとして描く場合は、ぜひ上田敏訳でお願いしたものです。「秋の日の ?オロンのためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し…」 口語訳ではこの文学的で劇的な感じがでません(笑)。

(2)『沈丁花』で描かれる世界観
 この短篇で描かれる姉妹の物語には、その世界観を表現するいくつかのキーワードがあると思いました。
@不幸:没落した旗本の家柄。母と父の死
A姉の妹への献身:無償の行為
B姉のキリスト教信仰:教会通いと聖書の言葉
C日記:妹の恋煩い(女学生への片想い)を知る
D姉の死:姉の死後、妹は姉の愛情を再認識するエンディング
 ここで印象的なのは西欧的な文化や価値観です。西欧の恋愛観には古くからエロス(愛欲)とアガペー(精神的な愛、無償の愛)を区別する伝統があります。アガペーはキリスト教にも取り入れられ、エロスよりも至純なものと考えられています。しかし日本人にはこの区別が理解しにくく、とくに愛欲をともなわない大人の女同士の愛はわかりにくい。そこで作者は、少女たちの世界なら少女同士の無垢な恋愛として自然に描ける、と考えたのではないでしょうか。

里井雪さん 2023/10/26 18:37

感想ありがとうございます!

上終さんにとって新鮮な作品であったのなら、選んだ甲斐がありました。読書観もさることながら、エロスとアガペー、私では思いもつかない視点です。

遠藤大志さん 2023/10/27 10:19

この度初めて吉屋信子という作家を知った。
紹介していただけなかったら一生読むことはなかったと思います。
ライトノベルの先駆け的作家なのでしょうか?
自分は若い時にコバルトシリーズをよく読んでいました。(笑)
しかしながら歳を重ねるごとに、ライトノベル(以降ラノベ)は読まなくなりました。
偏見かもしれませんが、ラノベ=若者が読むもの という公式が出来上がってしまいました。
還暦を前に再度読んでみるとどんな感想を抱くのか興味がなくもありません。
そういった意味では、読書会テーマに現代のラノベを取り上げてみるのも悪くありません。

さて自分は「ヘリオトロープ」と「沈丁花」を読みました。
感想を以下に記します。

■ヘリオトロープ
フランスの雑誌をたまたま購入し、その中にある詩の題「砂漠の砂」を読んでみるというお話なのでしょうか?
「ヘリオトロープ」花言葉の意味は「献身を意味ししかして、執着を表わすも悲しからずや」だということで、だから何? というのが率直な感想です。
イマイチ何を言いたいのかがわかりませんでした。

■沈丁花
(あらすじ)
二人の姉妹のお話。姉:君恵(16歳)、妹:さち子(13歳)。
母がまず亡くなる。父は道路工夫となったが、交通事故により亡くなった。
二人は天涯孤独の身となった。
心優しき姉は、才色兼備の妹の才能を開花させようと、自分の身を削って、妹の為に献身的に尽くす。
「青いつややかな小さな葉をじみにつけた小鉢、それは沈丁花だった。冬にうんといい匂いの花がパッと咲くらしい。
仄かにしとやかで、それでいて哀れにも心憎い、優しい甘ずいさ。
なんだかひとりでに涙さしぐまれて、いつの間にか双の袂を胸のあたりで組み合わせたくなる。」
妹を思う姉。姉を思う妹。
妹を女学生することだけを夢見る。
節約するあまり、雨に濡れて帰り、風邪をひいてしまう。
病院にも行かず回復するどころかどんどん悪化していく。
ある日さち子の様子がおかしい為、彼女の日記を盗み見てしまう。するとさち子が上級生の女性に恋していることが分かる。その事実に驚愕するが、自分の命が儚いことを感じ、その「永坂栄子」という女性宛に手紙を認める。
そして君恵はそのまま息を引き取る。
先生の元に引っ越す時、讃美歌の間から姉君恵の認めた手紙を発見する。
ああ、この花は姉さんの様な感じだ。

(感想)
大正〜昭和初期の家族を想う典型的な作品だと感じた。姉が妹を思い、妹が姉を思う。
形は違うがクリスマスキャロルに似ていると感じた。
新しいのは、女性だけの話ということだ。
登場人物がほとんど女性である。
優しき世界が全体に漂う。若い頃、「女性だけの世界になったら平和になる」と思っていた時期がある。作者吉屋信子が描く理想郷なのかなとも感じた。男性目線で言えば、物足りないとも感じたし、羨ましいとも感じる。どちらかというとやはり物足りない、腑に落ちないという印象の方が強い。
女性の同性の憧れも触りしか無い為、ドロドロ感が無いと物足りないと感じてしまった。
歳を経て思うことは、「女性だけの世界になったら平和なのかもしれないが、面白みに欠ける」である。男性が「毒」ということはないが、「毒」が無いと面白み欠けてしまうと思うのだ。

<Q1>
 吉屋信子の描く世界は花の香り、三島由紀夫の『仮面の告白』はその対極にある。「序」でも触れたように、上下を付ける点は置くとして、自作を描く時、その文芸性・社会性について、あなたは強く意識しているか? また、その観点において今回の両作品に対する、あなたの評価はどうか?
⇒まったくと言って意識していません。
評価としては上にも書きましたが、物足りない、面白みに欠ける作品である。
唯一羨ましいと思うのは、「花の香」に感情を揺すぶられる感覚は自分に無いのでそう感じられる感性は素晴らしいと思う。

<Q2>
 本二作含め『花物語』には女性同士の恋愛にタブー色が一切ない。だが、フィクションを構築するにあたり、これを禁忌とした方が、演出効果が高まるとも言える。あなたは創作者として、演出効果を優先した設定も入れるべきだと思うか?
⇒そうですね。恋愛を描くのであれば「禁断」は程度の大小はあるものの必須だと思います。読み手を意識し、読者がどう反応するのかを楽しみにして書くと思います。

<Q3>
 いわゆるソドミー法では、男性同士(肛門を使うセックス)を禁じているだけで、女性同士については特に触れていない。
 ダビンチ、チューリング、三島由紀夫……、男性の同性愛者(そうだと言われている人)は枚挙に遑がないが、女性の有名人は少ない。これらは、省みることすら値しないという意味での女性差別だったのではないか?
 女性同性愛、さらには、LGBT全般についてコメントがあればお願いします。
⇒一時期ラノベの世界ではボーイズラブ(BL)が持て囃されていたと思う。しかしジャニーズの一件でこの手のストーリーはしばらく敬遠されるであろう。
その代わりにガールズラブ(GL)?が持て囃されてくる気がする。代表的なアニメや漫画の出現により、一大ムーヴメントを引き起こす可能性は十分あると思う。
その際は今風の「禁断」が盛り込まれることを期待したい。

里井雪さん 2023/10/27 13:11

感想ありがとうございます!

なるほど!! 「物足りない、面白みに欠ける」というご評価は、そう思う人多いのでは? と考えていました。すいません、なのに出しちゃって。ですが、これは、昨今、アニメで流行りの「日常系」=何もないただ空気感を描く、に通じる気もするのです。そのあたり、当日、補足いたします!

今回、実はラノベ『マリア様がみてる』、漫画『やがて君になる』も候補に考えていたのですが、さすがになぁ? と思い、断念しました。次(2年後くらい?)の当番が回って来たら、ご相談させてください。

野守水矢さん 2023/10/27 18:28

<Q1>
 吉屋信子の描く世界は花の香り、三島由紀夫の『仮面の告白』はその対極にある。「序」でも触れたように、上下を付ける点は置くとして、自作を描く時、その文芸性・社会性について、あなたは強く意識しているか? また、その観点において今回の両作品に対する、あなたの評価はどうか?

<A1>
自分の描きたいのは文芸だから、文芸性は意識している。主人公の思考や行動は、舞台となる社会の構造の制約を受けるもの。強く意識しなくても、自然と入り込む。社会は、大抵の場合は主人公に制約を与えるものとして。

<Q2>
 本二作含め『花物語』には女性同士の恋愛にタブー色が一切ない。だが、フィクションを構築するにあたり、これを禁忌とした方が、演出効果が高まるとも言える。あなたは創作者として、演出効果を優先した設定も入れるべきだと思うか?

<A2>
選出効果を高めるための設定は、読者の関心を惹きつけるために、当然あり。禁忌が主人公を苦しめる設定はよく使われている。
禁忌は、主人公を苦しめるために効果的に使われている。女性同性愛と花物語については(おまけ2)で後述。

<Q3>
 いわゆるソドミー法では、男性同士(肛門を使うセックス)を禁じているだけで、女性同士については特に触れていない。
 ダビンチ、チューリング、三島由紀夫……、男性の同性愛者(そうだと言われている人)は枚挙に遑がないが、女性の有名人は少ない。これらは、省みることすら値しないという意味での女性差別だったのではないか?

資料にあたって調査したわけではないので感覚だけの発言ですが
1) 恋愛は異性でするもの、と言う固定観念があった
2) 女性が能動的に愛を求めて行動することが好まれなかった。相手が男であれ女であれ。
3)。

 女性同性愛、さらには、LGBT全般についてコメントがあればお願いします。
まあ、どの性を性愛の対象とするかは本人しだいなので、こんなことを気にしない世の中になればいいな、と思っている。でも、作品で描くときは、表現に注意が必要。

(おまけ1)「ヘリオトロープ」と「沈丁花」
「ヘリオトロープ」は、冒頭の長文は源氏物語を髣髴させ、仏国雑誌の文は対照的に戯作調で、リズム感もあって、読んでいると作中に引き込まれてゆく。格調高い擬古文、美文が女学生の心を捉えたのではないだろうか。卑しい身分の女性の気高い矜持が心を打つ。

「沈丁花」は、没落した名家の姉妹に襲いかかる不幸と言う、女学生好みの設定から始まる。その上で姉は妹のために信じられないほどの献身をする。読者は、度を超えた献身に違和感を感じ、どうしてここまでするのか、と疑問を持つが、これは作者の計算通り。しかも姉妹という設定のせいで読者は恋愛を思い浮かべない。そして最後に、姉の手紙で種明かしされる。まあ、見事ですね。
いずれの作品もエロではないので、読者も保護者も安心して読める作品。

(おまけ2)純潔教育と恋愛描写
大正・昭和の時代の女子教育は、良妻賢母となるための教育で、純潔を保つことが大切。女子は、三従の教えに忠実であれば、相手の性別に関わらず自由恋愛はできない。「ふしだら」と謗られる。
だから、男女交際の物語は受容されず社会や父母が読ませない。読んでもらえる恋愛を描くとすれば男性を東條させず、かつエロを感じさせない「思慕」「献身」として描くことが必要だったのではないか。

(おまけ3)吉屋信子と「花物語」の持つ社会的メッセージ
「山茶花」(上巻)は被差別部落の少女を扱った作品である。「昔ふうな根も歯もない迷信で人の嫌う部落の人々を」との表現でわかるように、きわめてマイルドにではあるが、弱い女性に寄り添う社会的メッセージを伝えている。
「燃ゆる花」(上巻)は家から逃げ出した女性、「黄薔薇」(下巻)は女性同性愛者、「ヒヤシンス」(下巻)は職場における理不尽な扱いに抗する女性たち、「スイートピー」(下巻)は舎監排斥運動に立ち上がる女生徒たちへの共感を示している。
少女文学という一見無害な娯楽作品に、読者である若い女性に向けた社会的メッセージを潜り込ませるところは巧妙で、吉屋信子はしたたかな策士である、と感じた。

里井雪さん 2023/10/27 19:17

感想ありがとうございます!

(おまけ)のところとなりますが、今時では当然としても、当時の社会を考えると、策士という点は、私もそう思う反面、そこまでの深い意図はなく結果論、とも感じています。実のところどうだったのでしょう?

港朔さん 2023/10/30 15:01

短編集『花物語』は、大正五年から十三年まで足かけ九年に渡って少女雑誌『少女画報』に連載されたもので、作者吉屋信子は、この連載から職業作家になったとのこと。読んでみて連想したことは、自分が子供のころ楽しんでいた漫画雑誌 ‥‥ 少年サンデーや少年マガジン ‥‥ だった。ラジオはあったがテレビはまだなかった時代だから、漫画の娯楽としての存在は大きかった。ましてやラジオもなかった大正時代、『少女画報』の短編小説は少女たちにとって、とても大きな娯楽だったに違いない。
 少年漫画の作者たちは、読者を悦ばせる術を心得ていて、急所で笑わせたり怒らせたりして、少年の心をしっかりとつかんでいた。同じく吉屋信子も、物語の急所で、美しい言葉や、哀しい言葉などを散りばめて、少女たちの心をつかんだ。涙を誘いつつ、うまく心を刺激しながら物語を展開してゆく術を心得ている。泣かせ場などはありすぎて、わざとらしさがちょっと気にかかるが、おそらくそれは大人の感想であって、少女たちにとっては、それがいつも新鮮だったのかもしれない。そして物語の長さも、短かすぎず長すぎず、疲れた頃にちょうど終わる ‥‥ うまくできている ‥‥ 編集者も含めたプロの技といえるのだろう。
 人気のテレビドラマ ‥‥ 刑事ドラマ・推理ドラマなど「最後はいつも絶壁・崖っぷちなんですよ。とても寒いんですよ」と、テレビのトーク番組で、俳優の高橋英樹が語っていたけれど、同じパターンの繰り返しでも、それでも飽きないで見続ける視聴者がいるから、ほぼ同じストーリーのドラマが廃れずに、少しずつ趣向を替えて繰り返される。時代は替わっても、本質的なところは替わらないんだなあと思った。

<Q1> <A> 文芸性といえば、純文学という言葉があって、なにか他の文字(もじ)作品よりも位の高いものとされているようだけれど、自分はほとんど気にはしない。また社会性というものは、作品に自ずと備わってくるもので、もし<Q1>が、吉屋信子の描く世界には社会性がない、という意味を含んでいるとしたら、それはちょっと違うのではないかと思う。

<Q2> <A> 『花物語』において女性同士の愛が主要なテーマになっているのは、大方の読者が良家の子女だったことによるのではないだろうか。良家の子女ともなれば、結婚は家格や財産などを考慮して親が決める ‥‥ 政略結婚とまではいかなくても、個人の好みで相手を決めることなどは、ましてや恋愛などと云う一刻(いっとき)の感情で決めることなどはとても無理 ‥‥ つまり、親としては絶対に許すことはできない ‥‥ という、そんな女性たちが読者層だったことによるのではないだろうか。
 良家としては物語の愛の相手が同じ女性であれば問題はない。それならば、親たちも危険視することはせずに済む。娘たちが夢の世界で遊んだとしても問題なし、として許可することができた ‥‥ つまり、出版社等に圧力をかけたりなどはする必要がなかった ‥‥ という、そういうことだったのだろう。

<Q3> <A> 西洋のキリスト教社会では戒律が厳しくて、とくに聖職者(昔はすべて男性)においては、性愛が禁じられていたことによる、表の顔と裏の顔との乖離が非常に大きかったということを聞いたり読んだりする。性衝動は、人間もその一員であるところの動物の動因の中でも最も強い衝動であり、ホントに禁止されてしまえば、とても堪えられるものではないだろう。だから必然的にその代替物を求めることになる。それが同性愛であり小児性愛という現象を生んだのではないだろうか。
 その点、日本は様相がだいぶ異なる。(小田)信長にしても三島にしても、同性愛といっても妻を娶ってのことであり、またそれが戒律に違反しているわけでもない。禁じられた性衝動にそそのかされているわけではないし、隠れて行っているわけでもない。
 だから西洋では同性愛者同士の人間的なつながりは「秘密を共有する」という意味において、とても強いものであったとのことである。秘密結社というものは、構成員の誰か一人の裏切りによって崩壊するものだが、その構成員が同性愛者であれば、そのような裏切りの可能性はとても小さくなるものらしい。西洋では数々の秘密結社があるけれど、その絆は同性愛によって結ばれているのだ、という論を読んだことがある。そんなこともあるのかなあ、と思われてくる。

里井雪さん 2023/10/30 16:40

感想ありがとうございます!

他の方もコメントされていましたが、私自身は、現代のラノベ、漫画、アニメの「源流」と考えていましたが、これ「そのもの」が、かつてのラノベだったのかもしれません。

同性愛について、かつての日本は西洋と異なるという点はまったく同意です。西洋の方が性的マイノリティーへの理解が進んでいるのは、歴史の反動かもしれないなと思います。

和田能卓さん 2023/10/31 14:42

吉屋信子『花物語』 『沈丁花』『ヘリオトロープ』

『花物語』の総題の下、掌編・短編で書かれた50余の同工異曲の作品集。その中には換骨奪胎、自己模倣もあろう。なぜなら少女の同性愛が、全作を貫くモチーフだから。
この同性愛なのだが、けっして肉欲的には描かれず、あくまで精神的なレベルにとどまっている点、現代に生きる者からすれば物足りなさを感じることにもなろう。原因は、田中優子『張り型と江戸女』(ちくま文庫、2013)所収の浮世絵春画にあるような、女性同士の性愛模様は書かれていないところにある。
しかしながら『花物語』が掲載された雑誌『少女畫報』の読者が女学生・職業婦人・女工だったこと、時代的風潮もあって、身体的な交歓要素は持ち込まれなかったのもムベなるかな、である。(参考 永嶺重敏『雑誌と読者の近代』日本エディタースクール出版部、1997)
『沈丁花』の我知らず裏切られていた姉の想い、『ヘリオトロープ』の奴隷少女の一途な想い、に時代性を超えて感ずるものがあった。
レジュメQに対するAは以上に含めたつもり。

里井雪さん 2023/10/31 14:51

感想ありがとうございます!

若い女性向きであり、かつ、当時の感覚からも、肉欲的な部分を描くのは難しかったと思われます。ただ逆に、あえて綺麗事で済ませた部分が、今の日常系アニメに通じる点もあるのかな? とも思います。Qへのご回答としても、主旨承りました。

成合武光さん 2023/11/1 11:25

『沈丁花』吉屋信子著 感想
良くも知らないのですが、「大正ロマン」ロマン主義の高騰、酔い痴れる浪漫、等の言葉を連想しました。十代、二十代の初め頃、誰が読んでいたかも知らない。そこら辺に置き放しにしてあった本にこのような物語がありました。物心も付かない十代の田舎小僧もぼーつと夢見た記憶があります。それを思い出しました。懐かしいですね。
 おそらく藤村や北村なども酩酊したことがあったのではなかろうかと想像すると、文学の生々しい歴史に触れる感じがしました。成程とも思いました。当時の女学生が夢見るように読みふけり、もてはやされた様子が浮かんできます。文字の上でしか知らないロマンチックを味合う感じでした。銀座辺りの古色なカーフェで古色なカクテルを御馳走になり、少しく酩酊したような気持ちでした。誠にありがとうございました。「文横」カーフェならでは巡り合えない機会だろうなと感激もしました。
 また竹久夢二の世界だなとも思いました。夢二の作品を見ても、過ぎし世の幻燈を見ているようで、今一つ分かりませんでした。しかし、これらの作品から夢二の世界の謎が解けるようにも思いました。…と言うのは飛躍しているようにも思えます。私の思い違いもあるかと思います。詳しく教えて下さるとうれしいです。
 物語の深さなどについては、現代では如何なものかとも思いますが、文章がいいですね。古色なカクテルにほんのり酔いが回りそうです。ご提案ありがとうございました。

里井雪さん 2023/11/1 13:48

感想ありがとうございます!

「カクテル」「酩酊したような気持ち」というのは面白いですね! どうしても、内容は? 示唆する何かは? と考えがちなのですが、「空気感を楽しむもの」として読む、いいですね。現代の若者文化に通じるところもある気がします。

十河孔士さん 2023/11/1 17:50

11月課題 吉屋信子「沈丁花」「ヘリオトロープ」
 この作者の存在は知らなかった。当然ながら作品も初見。
 この手のS関係の作品は今まで読んでこなかった。場違いの秘密の花園に足を踏み入れるようで、当惑し、どのように感想を言えばいいのかもわからないというのが正直なところ。が、指定図書を読んで自分の感想を述べるといういつものことを、今回の読書会でもするしかない。

「沈丁花」
 始まり方が面白い。聖書みたいだと思った。
 没落した受難者一家・音楽の天分に恵まれた妹・その妹のためにわが身を犠牲にする姉・その姉も最後には死んでいく・ローレライ・東京山の手の上品な会話・紫の矢がすりの銘仙を着て、学校の遠足で長瀞に行く・讃美歌――など、物語世界の構築に寄与するものが、これでもかとぶち込まれている。大正ロマンとはかくや、と思わせる。

 妹が年上の女性=憧れの君への恋煩いをあまり姉に隠さない・姉に日記を見られるが、その可能性が低くはない部屋に日記を不用意に置く・妹の日記を盗み見るその道徳的罪悪感は?――など、少女小説ではなかったら見過ごされないと思われる個所を、どう捉えればいいのか、よくわからない。

「ヘリオトロープ」
 東京一円に甚大な被害を与えた関東大震災は、大正12年9月1日。未曽有の天災に襲われた首都を眼前にしながら、古代ローマ期にヴェスビオス山の噴火で廃墟となったポンペイに想を得て創作した作品。同年10月14日には完成したとのことで、1ヶ月半で書かれている。
 擬古文体の小説。物語を時間的にも空間的にも遠いところに設定するのはロマンチシズム小説の常道だろうが、ここでもそれに拠っている。
 閑雅な趣があり、こうした小説を好むのは、高名な作家の中にもいたように思う。

 女性陣の参加がふだんよりも多いと予想されるが、彼女たちの意見にいつも以上に聞き耳を立ててみたい。

金田清志さん 2023/11/1 18:19

感想

 吉屋信子は名前だけはみた事があるかな、と言った感じで、読むのは初めてです。

「沈丁花」  読み終えて、なんだか少女小説のような感じで、この作者は本当に貧しい体験をしたのかな、と感じつつ、それでもどんな結末になるのかと読みました。結果的に両親を亡くした姉の妹に対する異常な愛情、
これは親の子に対する愛のようにも思えます。
 一方、同姓の上級生へ心を奪われた妹が書かれていますが、これは美しさへの憧れ、敬慕のようなものなのかと思いました。

 作品としては姉が妹の想い人へ宛てた手紙は、妹を心配の余りの行動とも想像できますが、やはり当方には不自然に思え、ましてや妹に見られてしまう場所に置くというのも理解できなかった。

「ヘリオトロープ」
 城の姫に恋する奴隷の子である少女が火山噴火の際に姫を助ける話になっているが、どうして少女が話した事もないのに姫に恋するのか理解できないし、単なる憧れ、羨望なのではと思った。

 *

 というような感じで読み終え、提案者の<『ヘリオトロープ、沈丁花』(吉屋信子『花物語』)について>を読んだ。

 当方は「花物語」の全てを読んでいないが、どうやら作者は「愛」の色々な形を花に例えて表現したかったのかな、と思えてきた。ならばせめてこの本だけでも読もうと思ったが、正直、年齢のせいかそうした内容に興味は薄れている。

 小説を読む楽しみの一つに、この小説で作者は何を表現したいのか、何を言いたいのかがある。その「何」とは、生きる上での根源的な事象だとすれば「愛」もその一つである事には違いない。 

 しかし今の時代なら兎も角、吉屋信子の活動していた頃、女性同士での「愛」を表現するのは困難だったに違いない。
吉屋信子の作品を読んでいないのに勝手な言い方はできないが、作品によっては再認識される作家かも知れない。

里井雪さん 2023/11/1 19:32

十河さん> 感想ありがとうございます!

「沈丁花」と聖書、たしかに自己犠牲という意味でも通じるところがあるかもしません。他の方のご指摘にもある通り、どうしても評論家的に、何か? を読もうとしていましたが、これらの作品は、そのままを「楽しむもの」と考えた方がよい気もしてきました。

金田さん>
感想ありがとうございます!

吉屋信子自身、晩年は歴史小説を手がけるなど、作家として「レベルの高いもの」を書こうとした節があります。それは当時の世相と相まった考え方だったのかもしれません。ですが、今、読んでみると「花物語」決して低俗とは感じませんし、「吉屋信子の花物語的なもの」は、現代アニメにも通じる何かがある、と思っています。

「ヘリオトロープ」の唐突さ! 確かに! ですが、「ロミオとジュリエット」は出会い?自殺まで、わずか5日の物語です。一目惚れは恋愛物のお約束ではないでしょうか?

森山里望さん 2023/11/1 22:27

吉屋信子 知らない作家で初めて読みました。 中原淳一の挿絵、花の名のタイトルと相まって、大正ごろでしょうかその時代の若い女性にたいそう好まれた世界観だったのだろうと思いながら読みました。清らかで美しい、甘やかであえかな生・性へのあこがれを小説で具象化していると思いました。読みやすくさらりと読んでしまって、私としては文章にもストーリーにも深く入り込めませんでした。 よく読解できていないところに設問が難しくて戸惑っています。ので、私なりに答えられることだけを記します。
Q1.文芸性、社会性
   普遍的テーマ、価値を持ち時とともに色あせないのが文芸作品と思っています。この2編とも自己犠牲の成し方、筆力にそれを感じない。
   社会全体ではなく、時代の若い女性の感性を映していると思った。それも色濃い社会性だとおもう。
Q2.同性愛(女性)に対するタブー視
   これに触れると作品全体が重たく濁ってしまうように思う。当時、女性の同性愛者がどういう境遇だったか知りたい思いはあるが、このままの方が作品の持ち味を壊すことがなくいいと思う。
Q3.わからない。すいません意見がありません。

里井雪さん 2023/11/1 23:34

感想ありがとうございます!

なるほど、当時の女性の感性という見方は、まさにその通りだと思います。Qの方はご指摘をいただいた後、ちょっと私の考え過ぎ、深読みだった気もします。こちらこそ、申し訳ありませんでした。

中原淳一さんも、結構、好きなのですが……。11月18日(土)〜2024年1月10日。横浜そごうにて展覧会があるそうです。

克己 黎さん 2023/11/2 19:33

『ヘリオトロープ』『沈丁花』について、中原淳一とともに 克己黎

今回の作品は、いまの時代の概念とちがった概念で捉えなければならないと思う。大正期の女学生の友といった小説であり、川端康成や菊池寛も大正時代の女学生、女性を書いているが、今回の作品は、表紙絵に中原淳一というところからも、特別な人気作品であり、抒情性ゆたかな挿絵とあいまって、当時は人気を博したに違いない。

私は今回のレジュメに対して回答はしない予定だったが、先ほど中原淳一の話題が出ていたので、決意して述べさせていただくことにした次第だ。

大正期の女学生、女性を語るうえで、また昭和戦前、戦後を語るうえで欠かせないのが中原淳一ではないだろうか。略歴はウィキペディアなどでご覧いただけるが、私個人は、中学生の頃に中原淳一、蕗谷虹児、高畠華宵といった大正昭和の抒情画家の画集や美輪明宏の著作の中原淳一挿画などにふれ、抒情画の美しさ、可憐さ、さわやかさ、はかなさ、さびしさ、華やかさにふれた。

この吉屋信子の「花物語」は中原淳一の挿絵版があったそうで、人気作品であったに違いない。今回初めて吉屋信子という作家がいたのを知ったが、エス文学とかレズビアンといったくくりではなく、もっと人間愛的なものでパートナーの同性とは結ばれていた、同志ではなかったろうか、と感じる。

大正文学において、特に女学生を取り上げるなら、映画「制服の処女(おとめ)」や、コリンヌ・リュシェールなどの女優を知らなければ語ることはできないし、宝塚歌劇団、松竹映画、歌舞伎などの文芸性ある大衆娯楽があるなかで、小説の占める位置とは、カバンにしのばせる、家事の合間に読みふける、学校の友だちと話す、読みふけり、挿絵の少女たちや女学生たちの髪型を真似し、しぐさを真似し、周りの友だちに似ている人がいると話題する、ささやかな趣味であり、まさに乙女のバイブルであっただろう。

今回の作品は抒情性に満ちていて、私としては理解できたが、その少女たちや女学生、女性のささやかな可憐な想像力をふくらませる小説を、けがらわしいものにしてほしくない、と感じた。

私は、少女漫画も好きだが、里中満智子や池田理代子などは抒情性ある文学であると信じているし、それを面白く感じるのではなく、泣くシーンで泣き、喜ぶシーンに共感し、共鳴をしている。

以上が、感想である。

克己 黎さん )2023/11/2 20:28

たしかに『アリエスの乙女たち』に近いかもしれません。笑美子と路美の姉妹愛に近いかもしれませんね。

なお、上記誤りがあり『制服の処女(しょじょ)』でした。ドイツ映画です。同性愛をテーマにしながらも今とはちがった意識で見る必要があります。

里井雪さん 2023/11/2 20:48

感想ありがとうございます!

なるほど! 一般には「エス文学」「百合」などという括りにしてしまいますが、当時、あるいは、今でも、同一カテゴリーで考えるべきではない、ということでしょうか。里中満智子の『アリエスの乙女たち』などでも、決して、そこに主眼があるという描き方でもないですし。

(文学横浜の会)


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