「文学横浜の会」

 「掲示板」の内容

評論等の堅苦しい内容ではありません。
テーマになった作品について参加者がそれぞれの感想を書き込んだものです。
  

2024年 2月06日


『水車小屋攻撃』エミール・ゾラ

<「掲示板」に書き込まれた感想>

池内健さん 2024/2/17 08:13

世界史の教科書で普仏戦争は、ビスマルク率いるプロイセンを中心とするドイツ統一(ドイツ帝国成立)のきっかけになった戦争として扱われる。フランス側の観点では、第二帝政の崩壊とパリコミューン(世界史上最初の自治政府)樹立、第三共和政への移行という、今のフランス共和国につながる流れが強調されている。この時期にはイタリア統一も実現し、現在のヨーロッパ主要国が出そろう大きな変化が生じていた。

「水車小屋攻撃」は、そうした大きな歴史の流れでは無視されがちな一般市民を描いている。人々は、軍と無関係でいたくてもいや応なく巻き込まれ、どちらが勝利するかにかかわらず犠牲を強いられる。

ヒロインのフランソワーズは、プロイセン軍に捕まった恋人ドミニクにナイフをわたして脱走させる。その際ドミニクは、監視していた若い兵隊を殺す。フランソワーズは「きっとこの死んだ若者も、遠いドイツの地に恋人を残してきたにちがいない」と思い、喉に刺さったナイフをみて「自分がこの人を殺したのだ」と自らを責める。フランソワーズはフランス軍さえ来てくれればと希望をつないでいたが、父の水車小屋はプロイセン軍の陣地となり、仏軍の徹底攻撃で粉砕される。「大勝利! 大勝利!」と浮かれる仏軍隊長の姿が戦争の皮肉を象徴している。

小説の舞台となったロレーヌ地方は隣のアルザス地方とともに仏独の係争地となっていた。言語・文化的にはドイツに近い地域なので、第1次大戦でドイツが敗北しなければ割譲されず、今もすんなりドイツの一部にとどまっていたかもしれない(ロレーヌに隣接するザール地方は第2次大戦後にフランス管理下におかれていたが住民投票でドイツに復帰)。現在の仏独は時にぎくしゃくしながらもEUのもとで共通利害を追求し、国境管理も事実上なくなっているのでロレーヌがどちらに帰属しているかはさほど重要ではなくなっているが、ウクライナや中東など今も戦争がつづく地域があるのは切ない。

野守水矢さん 2024/2/19 16:21

メッセージのわかりやすい作品であった。
 これほど、戦争の悲惨さを平易で、誤解の余地のない表現で描写した掌編があろうか。
 修理を重ねて永らえてきた水車小屋は小さな村の、長い間変わることのなかった歴史の象徴である。
また、メルリエ爺さん、フランソワーズ、ドミニクの三人は、のどかな村の平凡な住民を象徴している。
 物語の終盤、水車小屋は敵味方の両軍からの攻撃で破壊され、メルリエ爺さんはどちらの発砲かわからない流れ弾で死んでしまう。
敵味方は関係なく、軍隊は村落の歴史も住民の人生も奪ってしまう。父親と婚約者を亡くしたフランソワーズの耳に「大勝利! 大勝利の声はどのように響いたのだろう。
 また、恋人を救おうとした小さな行動が失敗し、大切な二人を死に追いやったフランソワーズの悲嘆と後悔は、察するにあまりある。フランソワーズは、これからの人生をどのように生きてゆくのだろう。
 現代に至っても戦禍は絶えず、世界の各地でメルリエ爺さん、ドミニク、フランソワーズが再生産されている。この物語が過去のものとなる日が、来らんことを。

文由宇(ふくしま)さん 2024/2/23 21:29

〜メルリエ爺さん、ドミニク、フランソワーズの悲喜劇〜

反戦がテーマのようで、そうではなく、
また戦火の悲惨ものがたり、というだけでもなく、

環境や事態(有事)に翻弄される人間賛歌と読みました。

「ロメオとジュリエット」を彷彿したのは私だけでしょうか?

ありのままをありのまま伝え、背景に忍ぶ悲惨さや過酷さ、ときに壮麗
を描くとされる自然主義派ですが、あきらかに自然ではない「ものがたり」
をこの短編集からは感じました。

どういう事かというと・・・

本作。3名の喜劇ともいえなくないでしょうか・

捕虜を恋人が逃し、捕虜はその愛情のために戦い、それがために男は虐殺されてしまう。
必死の抗戦を止めた爺さんは流れ弾にあたる。。

いくつか選択がある中で、感情にふりまわされた人間の最期
を描いた非喜劇であることが、シェークスピアを彷彿させてくれました。

『居酒屋』もまったく同様です。感情の正義にふるまえば、世俗が
許さない。そんな不条理を個人と社会はいつも抱えています。

写実的にそれを表現し、人間の心理機微を記録する作業の小説に私もあこがれます。

『それでも、人生は生きるに値し、純情(だけ)が美しい』(たしか、フランクルでしたか…細部自信なしです。。。)

後の実存主義、カミュやカフカに継がれていくのでしょうが、自然主義の
造語はゾラだとしても、その流れは16世紀の古典に観ることができうる、と
勝手に思いました。

また別の観点からみて、「均衡平和」が一瞬にして「緊張戦争」に変わる
モンタージュは実に秀逸です。

映画「草原の実験」は小説以上にその表現がされ尽くしています。(佳作ですよ〜)
また、突然の喪失もリアリズム溢れるものです、「銀河鉄道の夜」も
思い出しました。

佳作ですね。いい作品とめぐりあわせてくれてありがとうございます。                   by 由宇 2024.02.23

港朔さん 2024/2/23 22:30

『水車小屋攻撃』と他七篇を読んでみて、最も面白かったのは『ジャック・ダムール』だった。そしてこれは昔読んだ記憶が幽かにある。今回『ジャック・ダムール』が、もっとも腑に落ちたのは、すでに一度読んでいたからかもしれない。私の若い頃はフランス文学が流行していて、これといって見識がなかった私は、流行のままにフランス文学を読み、その延長でゾラやモーパッサン、メリメ、スタンダール、カミユなどを読んだ記憶があるが、今となっては内容についてほとんど覚えていない。
 今回の課題図書は、他七篇も含めて全体として非常に面白かった。一連の作品は、これぞ小説、まさに小説のお手本という感じを受けた。《偶然》というものに引き回され、翻弄される人生への覚めた視点といい、人間性に対する洞察の深さといい、大人の文学だなあと思った。若い頃に一度は読んだかもしれないが、そのころはゾラ文学を理解するには幼稚すぎたのだろうと思う。感受性がその域に達していなかったわけであるが、もしそのときにそれなりの理解ができていれば、自分の人生も少しは替わったものになったかもしれないと思ったりする。 機会をみつけて『居酒屋』や『ナナ』など、ゾラの長編作品を読んでみたくなった。

『水車小屋攻撃』の舞台であるアルザス・ロレーヌ地方は、歴史的に、フランス領になったりドイツ領になったり、目まぐるしく変化しているようだ。この地域は鉄鉱石と石炭を産出するために、二国間の長い係争地であったということらしい。本小説で展開される小さな戦闘はフランス軍が勝ったわけだが、全体としての戦争(普仏戦争)はドイツが勝ったのだから、ロクルーズ村を含むこの地域も、この後しばらくは、ドイツ領になっていたはずである。後に第一次世界大戦では戦勝国フランスの領土になり、第二次世界大戦でもフランスは戦勝国だったから、それから現在に続く約一世紀の期間はフランス領として経過しているわけだ。
 しかしウィキペディアによると、アルザス・ロレーヌ(フランス語)地方は、ドイツではエルザス・ロートリンゲン(アレマン語)地方と言われ、元々はドイツ語の方言であるアレマン語を話すドイツ語文化圏で、住民の大多数はドイツ系のアルザス人だとある。だとするとドイツ領であるのが自然なのではないだろうか、と思うのだが ‥‥ 。

 小学校、あるいは中学校だったかもしれない。教科書に以下のような物語が載っていて、授業で読んだのを思い出す。
    学校の教師が生徒に諭す。
   「戦争に負けて、私の授業は今日で終わりだ。この地方もドイツ領になってしまったけれど、君たちはこの屈辱を忘れずに、将来は必ず取り戻すのだ。そのときはきっと来るはずだ。フランス万歳!」
という感動的(?)な物語であった。当時の私は、この物語の作者の意図するままに「ドイツ人は悪い奴らだなあ。フランスの人達、頑張って必ず取り返してね」と思った記憶がある。タイトルは『最後の授業』だったように記憶する。おそらくフランスが普仏戦争に負けたときの物語なのだろう。
 ドイツは二度の世界大戦に負けた国だから、遠い外国の教科書にこのような描き方をされて、その国の子供達にまで、こんな形で教えられるのか。戦争に負けるということは、こういうことなのか。バカバカしいはずの戦争に負ける、ということのバカバカしくない事の顛末 ‥‥ その結果が、この遠い国の教科書に描かれていたこととの因果関係なのか ‥‥ 考えすぎかもしれないが、大人となった今では、事の理不尽を垣間見る心地がする。

 もちろんゾラは『水車小屋攻撃』において、以上のようなことを問題にしているわけではない。ゾラの描きたかったことは、ある日突然に小戦闘の舞台にならざるを得なかった、そして必然的にそれに関わることを強いられたロクルーズ村の人々である。そしてモレル川の水に浮く草木の葉のように翻弄され、流れのままに流されて偶然に逆らうことのできない人の運命の儚さ、またそのバカバカしさ ‥‥ とはいえそのバカバカしさに逆らうことはできない、という現実の理不尽 ‥‥ いとも簡単に人がバタバタと殺されていく ‥‥ そんな雑然とした現実の様相を描きたかったのだ。

克己 黎さん 2024/2/25 10:31

『水車小屋攻撃』に関して 克己 黎

最初読み始めたらなんだかイメージが湧きにくいため、父からゾラ関連の映画DVD@Aを借りて観てから読むことにした。

@『居酒屋』エミール・ゾラ原作、ルネ・クレマン監督
マリア・シェル、フランソワ・ペリエ出演    
1956年

→足の不自由な女性ジェルヴェーズは未婚のまま2人の子どもを彼氏ランチエと育てているが性格の悪いしたたかな近所の淫売な姉妹の妹と彼氏は駆け落ちし、姉ヴィルジニーは主人公をことあるごとにおとしめる。

その後主人公は屋根職人クポーと結婚し、娘ナナを授かり洗濯屋を始めるが、夫は事故にあってから自堕落な酒飲みとなってしまう。しかし、支えてくれる鍛冶職人グジェらの協力で子どもを育てるが、またヴィルジニーから、妹とランチエは別れたからそのうち現れるだろうと唆される。

その後クポーは現れたランチエを夫婦の自宅の部屋に間借りさせ住まわせるのだった。そんな頃ストライキの刑期が短縮されグジェが戻ってきた。しかし、ほのかな思慕がおたがいにジェルヴェーズとグジェとの間にあったものの、ヴィルジニーからまた意地の悪いことをされてしまう。

幸せになった主人公ジェルヴェーズをあざ笑うかのようにランチエとヴィルジニーはその後ジェルヴェーズの洗濯屋だった店を雑貨店にして買い取る。

夫クポーが発狂し死んでしまった後で失意のジェルヴェーズは、居酒屋で酒に溺れながらみすぼらしく過ごす。それを見ている娘ナナは、将来の『ナナ』(エミール・ゾラ作)になる。

A『ゾラの生涯』ハインツ・ヘラルド、ゲザ・ハーゼック原作、ウィリアム・ディターレ監督 ポール・ムニ、ジョセフ・シルドクラウト出演 1937年

画家ポール・セザンヌと暮らしているエミール・ゾラは、娼婦をモデルにした『ナナ』を書いて一躍作家として有名になる。戦争が始まる。ユダヤ人のドレフュス大尉が濡れ衣を着せられ反逆罪で逮捕される。ドレフュス大尉が流刑され、ドレフュス夫人は作家として地位が確立したゾラに嘆願する。ゾラはそれを受け「余は訴う」の文章を新聞で発表する。世間はゾラに反発し、有罪となったためゾラはイギリスに亡命するが、これを機にドレフュスの再審がされ、無罪となる。(ドレフュス事件)フランスに戻ったゾラは一酸化炭素中毒によって亡くなる。

さて、本編の『水車小屋攻撃』を読んだが、恋人と父親を戦争により殺される結末で、無惨な気持ちになった。痛烈に戦争批判をした文章であり、読後感はあまり涼やかなものではなく苦さと渋み、痛さが残った。
2024.2.24 克己 黎

森山里望さん 2024/2/25 16:57

水車小屋攻撃 を読んで
ゾラははじめてよみました。
読みやすい文章でした。牧歌的な美しい情景も、戦場の激しさも後の無常さも、淡々とした描写で読む者をあおることなく静かに語り問いかけているようでした。その冷静な観察眼で書かれた故に、日常のささやかな幸福の価値と、作者の激怒、無念、悲痛が二層となって余韻の残る作品でした。

これしか読んでないのですが、たぶん私はゾラが好きだと思った。他のも読んでみたいと思っています。

上終結城さん 2024/2/26 17:13

エミール・ゾラ『水車小屋攻撃』感想  

 この短篇集のうち表題作と『一夜の愛のために』の二篇を読んだ。ゾラの作品は若い頃に読んだかもしれないが、記憶にない。

1.『水車小屋攻撃』について
 田舎の平和を象徴する水車小屋と、戦闘の殺伐さをしめす攻撃という言葉。小説の題名が、戦闘の現場で、この二つが交差してしまう残酷さ、理不尽さを表現している。
 戦闘に否応なく巻き込まれた村長と娘とフィアンセ。作者の描きたかったのは戦争のもつ不条理な相貌だろう。ひとたび戦闘が始まれば、勝利だけが関心のすべてとなり、周囲の犠牲も人の死も、眼に入らなくなる軍人、兵士たち。田園の幸福な生活を破壊し去ったあとに、呆然とするフランソワーズの横で「大勝利!」と叫ぶ隊長の姿が、それを端的にあらわしている。

2.『一夜の愛のために』について
 『水車小屋攻撃』とはまったく趣きの異なる作品。自分を見栄えの悪い大男と思い込む若者が、近くの館に住む上流社会の冷たく美しい娘に憧れる。ある晩、なんとその娘が若者を館に誘い込む。じつは館では、倒錯的な男女の世界が繰り返されていた……。
 私は谷崎潤一郎の『武州公秘話』などの怪奇ロマン小説を思い浮かべた。むしろ谷崎が、ゾラのこうした作品からインスピレーションを受けていた可能性だってあり得る。

 上記二作しか読んでないが、これから了解されるのは、ゾラという作家の多才な資質とストーリーテリングの巧みさである。どちらも、読者をはらはらさせながら最後まで読ませる。そしてアイロニカルな結末が待っている。フランス映画的な終わり方でもある。

十河孔士さん  2024/2/26 20:56

初見。「水車小屋攻撃」という題名がかっこいい。攻防戦を扱った映画を見るような感じで読んだ。

 大きな状況にフランス軍対プロイセン軍を置き、小さな状況にフランソワーズとドミニクの恋が配置されている。ドミニクとメルリエ爺さんを殺さないで小説を終わる方法もあっただろうが、そうすると戦争の悲惨さが浮きぼりにならないで薄っぺらになる、と作家は考えたのではないか?

 物語の中で時間は今日から明日、明後日へと一直線に流れる。時間軸に沿った、淡々とした描写の作品。自然主義作家はくもりのない「神の目」をもって、生起することを静かにねばり強く小説に描く。この短編はそうした傾向がよく分かる作品だと思った。

 自然主義小説の中では、作家の生きた時代が主題として扱われる。ゾラなら19世紀後半のフランス・パリが。舞台が人類の過去や未来に飛ぶことはない。たとえば古代ローマのことが語られることもなく、人類の宇宙での生活も語られない。
 また、人物の内面心理がモノローグの形でえぐりだされることはなく(人間心理は人物の行動で表される)、幽霊も魔女も出ない。
 このように見ると、さまざまな要素が入りこんだ小説に親しんでいる現代の読者には、ゾラの小説は派手さにかけ、やや物足りなさを感じるかもしれない。

 しかし、同時代の人間・社会やその悲喜劇を活写しえたゾラたち自然主義作家の存在は、世界文学の中でいつまでも輝きつづけるのではないか。

里井雪さん 2024/2/27 11:51

『水車小屋攻撃』について

 牧歌的、抒情的な出だしは、ある種のフェイク、続く戦争描写とのギャップを際立たせる効果を狙ったのでしょう。他のも書いておられるように、フランソワーズとドミニクの恋が、無惨に打ち砕かれるという悲恋ストーリーとしても秀逸です。

 短編ながら、普仏戦争を、そこに住む住人の立場から描いたところが、どこか、今、世界で起きている戦乱を想起させます。メルリエ爺さんが、もはや意味がないと知りつつも、大切な水車小屋の損害状況を調べるシーン、とても印象に残りました。

 ただ、どうなのでしょう? ドミニクは即刻処刑されるわけでもなく、道案内をすれば助命すると言われます。誤解を恐れずにいえば「甘さ」もあります。「敵」の姿も見えず、まるでゲームのようにミサイルを撃ち合う現代戦の方が、さらに非人間的ではないか? とふと思いました。

 私の読んだことない作品、とても刺激になります。ありがとうございました。

成合武光さん 2024/2/28 14:27

『水車小屋攻撃』 エミール・ゾラ作
素晴らしい作品ですね。平和な田園の情景、朴的な人びとの描写、突然の戦争、そして愚かしくも悲惨な結末。作品として無駄な所が何にもない。大長編の物語にも匹敵する。そう思いました。
戦争が過去のことではなく、今日も続いている。ロシアの暴虐を思うとき、なぜそのことに考え至らないのかと、プーチン大統領の頭の中を不思議に思います。まさしく悪魔に乗っ取られたのだろうとしか思えません。早く戦争が終わることを願うばかりです。
他の短編も素晴らしいものばかりです。恐ろしいばかりに思いました。さすがに文豪です。
教えて頂きありがとうございました。

金田清志さん 2024/2/28 18:20

感想

 最後の「大勝利!」「大勝利!」の言葉がなんとも空しく、空虚にさえ思える。それを作者は読者に知らしめ、戦争の虚しさ愚かさを書きたかったに違いない。

 と同時に愛の強さゆえによるエゴイズムもこの作品のテーマになっている。
仮にフランソワーズの愛が盲目的でなかったとしたら、二人の運命はどうなっていたか、と思わずにはいられないが、盲目的な愛に憑りつかれればとめようもない。
 人間の運命とは、と思わずにはいられない。

山口愛理さん 2024/2/29

「水車小屋攻撃」を読んで

エミール・ゾラは初めて読んだ。もちろん、「居酒屋」「ナナ」などで有名な自然主義文学ということは知っていたが、なかなか触手が動かなかったのだ。

読んでみると、少年期を南仏で過ごし、初めは詩作をしていたというプロフィールを感じさせる牧歌的で美しい文章だった。それと並行して普仏戦争の迫力あるシーンが挟まれ、時間に追われ手に汗握るような愛し合う二人の逃亡計画劇もある。村長である父親の尊厳や、大切な水車小屋の破壊に至る戦争の悲惨さもリアルに描写していて引き込まれた。

これは間違いなく反戦のメッセージを盛り込んだ作品なのだろう。ある意味、とても分かりやすい作品だった。「小さな村」も小品ながらメッセージ性の高い作品だった。

ちなみに私は、フランス映画が好きでフランスで暮らしてみたいというきっかけで、もう20年近くフランス語を学んでいる。先生はアルザス出身の女性なのだが、フランス人というよりはドイツ人的に感じることが多い。やはりアルザス・ロレーヌ地方はもともとドイツ、だからなのだろうか。

今回、「居酒屋」「ナナ」などの映画化された作品も観てみたいと思った。以前「獲物の分け前」というゾラ原作、ジェーン・フォンダ主演の映画を観たことがあるが、これが実にフランス映画的で、とても印象に残ったのを覚えている。

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