「文学横浜の会」

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2000年10月


 「オリンピック競技と国際ルール」

 シドニーオリンピックもいよいよ大詰め、と言うかこの稿を出す頃には既に終っている。 オリンピックの良い処の一つは、普段耳にする事も無かった競技がマスコミに取り上げられる事だろう。 メダルを獲ろうものなら、一躍クローズアップされて、マスメディアの標的にされること請け合いだ。 マスコミは家族や近親者にまで取材範囲を広げ、一躍、時の人となる。

 それはそれでいい。

 しかし、オリンピック競技の中には平和の祭典に相応しくない競技もあるのではないか?  ピストルを使用した競技だ。これが本当にスポーツ競技なのかと、疑問でならない。 やった事もないのにこんな事を言うのもなんだが「スポーツとは」との定義があるかどうか知らないが、 少なくともオリンピック競技に相応しくないと思う。

 一方、オリンピック競技になって、なんだ(?) と思わざるを得ない競技もある。 柔道、特に軽量クラスに言える。そもそも柔道には体重別などなかった。それがオリンピック競技に組み入れられ、 所謂、国際ルールが出来てからだろう。試合時間も5分(女子の場合は4分)で、その間に決着を付けなければならない。 絶対に決着を付けなければならないから、試合内容が見ていてせせこましい。 絶対的に実力差があるならいいが、接近しているとほんの些細なことでポイント差となり、それさえ判然としないままに、 旗判定となる。審判もどちらかに旗を挙げなければいけないので、さぞ大変だと思う。 昔はもっと試合時間はあったと記憶している(日本での試合だが)。延長もあった。

 体重差でクラス別けするのは、ボクシングや重量挙げに倣って、個人個人を平等に競わせようとの配慮だと思うが、 それなら、バスケット競技などは身長差別にしたら、と言いたくなる。 陸上競技だってそうだ。170センチクラス、190センチクラス、 無制限クラス。多分、つまらなくなると思うけど…。

(KK)


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