「文学横浜の会」

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2001年1月


 「21世紀」

 百年など、地球生成からの期間を基準にすれば「九牛の一毛」にも及ばないが、 人間の生存期間を基準にすれば、ある単位にはなる。 何時の時代に定められたのか知らないが、百年を一世紀とする。 日本は2001年から21世紀と言うが、前年の同じような騒ぎからすると2000年から21世紀と言う国もあるようだ。

 どちらでもいいが、百年前の文明の進歩の度合と、 今の文明の進歩(技術の進歩を含む)の度合には格段の違いがあると言う。 そして現在の技術進歩は目覚しく、現代人にも社会変革にはついていけない人さえいる。 とすると、百年後に今を振り返った場合、今の文明をどう見るのだろうか。 私達が19世紀を振り返った時と同じように、20世紀を思い起こすだろうか。

文明の変化の度合は20世紀初期と較べると、 21世紀に踏み込んだ現在、格段に違うと言う。 言われるように、変化の度合が指数級数的だとするなら、 文明を振り返る単位を50年ぐらいにした方がいいかも知れない。 百年単位に世紀と名づけた時代はそれでよかったのかも知れないが、 現在にマッチした単位で時代の変化を見詰める必要があるのではないか。

 20世紀の初頭に、21世紀になったらどんな時代になっているかと、 色々な想像力を掻き立て、書き留めた内容をテレビで観た事がある。 中には当たったものもあるし、未だに未解決の事もある。 それだけ人間の考える事は何時の時代も同じだと言うことでもあるし、 想像力は無限で、人間の想像力だけではどうにもならない事もあると言う事か。

 今月から21世紀。先月までは「世紀末」とかで、何かと暗い語感のする年だった。 今年からは新世紀で、これは明るい未来に繋がるイメージが湧く。 そうなってほしいと願うのは私ばかりではあるまい。

新世紀、新世紀と言う言葉を聞いて「何時もの正月と何が違う」と思っていた捻くれ者の私だが、 何かと暗いニュースが続く昨今にあって、 新世紀と言う言葉を借りて明るい未来をイメージしたいと思う。 別に何をすると言う訳ではないが、せめて心の中だけでも、 新世紀の正月だと心したい。

 ところで、百年後或いは二百年後にどんな未来が待っているか、 と言うような記事をあまり見掛けない。 技術の進歩は明るい事だけでなく、マイナスのイメージも同時に持つと人々は気付いたのだろうか。

文明と言う名のもとに、人類は数々の地球破壊をしている。 それはもう看過できない程になっている。大気汚染、水質汚濁、森林破壊等々、 つまり人類の生存そのものにも影響を与える大きな問題だ。

百年前は技術の進歩にただ明るいイメージだけを描いて、人々は競って未来を予測したが、 今そんな心は無いのだろうか。

確かにそんな予感もある。現代人は技術とは異なる、違う価値観を捜し求めているのかも知れない。

 最後にお遊びで、2X世紀にはこんな事が起る(ある)とこんな記事を想像してみた。
 あなたも何か想像してみませんか。

 人類最高速、ついに6秒を切る!<チータと地上最高速を競う!>

XXXX年YY月??日:某陸上競技会で四肢部門(注;足と手を使って走る)の百メートル走で、 5秒98を記録し、ついに6秒を切った。この記録はチータと充分に地上最速を争える記録である。 なお、二肢部門(注;従来の足だけで走る競技)百メートル走の記録は9秒41の平凡な記録に終った。

(KK)


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