「文学横浜の会」

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2001年2月3日


 「新世紀から、はや一月」

 新年早々、成人式での若者のモラルのあり方、KSD問題、外務省および官房室の機密費問題等々、 いつの時代になっても話題は尽きない。

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 成人式について、何故するのか、との議論まで出ているが、最もなことだと思う。 「成人になった事を祝して、大人になった自覚を促す」との事らしいが、 そんな事は最早まやかしにしか思えない。 二十歳と言えば、親の脛を齧っている者から働いて自立している者、 セックスして子供を生む者もいるし、結婚している者だっている。

高知市でだったか、成人式を妨害した奴を「大人になったけじめ」として告訴に踏み切ったと言う。 これはおかしい。「大人のけじめ」などというのはない。 あるとすれば、人間あるいは人としてけじめだろう。 大人になったから、と言うのではなく、 小さい頃から親は「人」としてのけじめをつけるよう教える義務がある。

もし言われるように成人式を中止できないのは、呉服屋さん衣装屋さんの圧力によるのだとしたら、 本末転倒、即刻中止すべきだ。そして着物を着る日、日本の着物文化を守る日でも作ればいい。

 この国で、二十歳になってそれまでと違う事と言えば、選挙権、 つまり一票を投じる事ができるようになる、と言う事だろう。 私は成人式になど出なかったが、 初めて一票を投じた時に「成人したのだ」との認識を持った事を覚えている。 国政に参加できる、との思いも抱いた。儚い思いだったが。

もう成人式で「大人になった事を祝う」等と馬鹿げた事はやめて、 選挙権を持った事を自覚させるための式にしたらどうだろう。 つまり、「私は他人に言われて、頼まれて、投票はしません」、 「私は自分の考えで投票します」と誓わせるのだ。

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 この国民にしてこの政治家、と言う事になるのだが、政治家の不祥事も跡を絶たない。 政治に、つまり選挙にはお金が掛かると言う。当選するには庶民には考えられない額の資金がいると言う。 しかし選挙期間に使える選挙資金には決まりがあり、それ以上はかけていけない事になっている。 でもそれだけでは当選は覚束ない、とこれは暗黙の了解らしい。

つまり実態と表に出す形とはずれがある。本音とたてまえの二重構造になっている。

KSD問題にしても、要は政治資金の不透明さで、不透明な政治資金が入れば、 不透明な政治が行われるのは明らかだ。 そんな事はしないと言っても、幾らきれい事を並べても、 偏った政治をしていると疑われても仕方がない。 公的資金が投入されているにも拘らず、それ以外の政治資金を必要とするのなら、 出し入れは全て公開すべきである。

小選挙区にすればお金が掛からない、 と言って選挙制度を変えたのはそんな昔ではないだろう。 お金が掛かるような選挙をする政党が悪いのだが、 そう言った政治家を択んだ国民に、結局はつけが来る。 借金ずけの財政は後年度負担となり、いつかは国民が支払う。

選挙にでる人は、皆同じような事、同じような政策を並べる。 所属する政党の政策なのだろう。無論、皆自分は清く正しいと言う。 その裏で、資金集めに奔走している。 国会での議決も、党で決められた採決に従う。 選挙で公約した事など一顧だにしない。そんなの正常な政治と言えるのだろうか。

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 この国の政治および制度(官僚機構)の悪い処を言い出したら切りがないので、今度は違う話。

 JR新大久保駅で、酒を飲んで転落した男を助けようとした男性二人が、 転落した者と一緒に死亡したと言うニュースに接して、 最初に思った事は「無駄死にだなぁ」と言う感想だった。 巻き添えで死亡した二人の中の一人が、韓国からの留学生だと知って、 そんな前途ある有能な人が、と思った。ニュースによれば、最初に転落した男は 仲間と酒を飲んでいたと言う。そんな人物を助ける為にと、「人の世の不条理」を感じたりもした。

 最初に転落した男には、いささか厳しい見方しかできなかったが、 その後、ホームからの転落事故がかなりの件数、記事になっている事を知った。 事故にならないまでも、ホームからの転落はかなりの件数あるらしい。 視力障害者も絶えず転落の危険を感じていると言うし、 誰でもふとした事でホームから転落してしまうケースだって考えられなくはない。 そこでホームに柵を設けたらどうかとの意見が出てくる。これも自然な成り行きと言えよう。

でもどんな策を施しても、身の回りに、危険は沢山ある。 二人の死を無駄死にしてはいけないとの声が、日本と韓国で上がっているが、もっともな事だと思う。

(KK)


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