「文学横浜の会」

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2001年11月3日


 「報道の在り方?」

 9月に起ったアメリカでの航空機によるテロ事件以来、 世の中は見通しのつかない、不安定な世相になった。 炭そ菌による毒物テロと思われる事態によって、益々その傾向は強い。 テロの撲滅には、世界の国々が協力して取り組まなければいけない事は明らかだが、 その協力の仕方にも色々ある。

日本が自衛隊の派遣を決めた経緯には些か拙速の感を持つ。 果たして、日本として協力の仕方を充分検討しただろうか。 速ければいいと言うものではなく、目に見えない敵だからこそ、 国としての対応を検討しておく必要がある。

テロに至る過程には様々な理由があり、基本的に、 テロの根絶には個々の問題点にまで遡る必要もあるだろう。 そうした信念を持って自衛隊の派遣を決めたのか疑問だ。 時限立法だとは言え、延長も有り得るし、前例にされる事は間違いない。

 アメリカ国内でもそうだが、事件の起った直後と今では、 アフガニスタンへの攻撃に対する賛否に動きがある。 テレビと言う画像を通してショッキングな映像を見た後では、 テロリストを匿っていると言われるアフガニスタンの現政権に対する攻撃を多くが支持したが、 民衆への被害が出るに及んでその支持にも変化が起きた。

 凡そ、民衆の支持ほど不確かなものはない。 私自身も民衆の一人だが、高い支持を得ている事ほど疑った方がいい。

人は、何事も報道各社の齎す情報によって、間接的に物事を知る。 多くは新聞やテレビ・ラジオから得ているのだが、情報を流す側から一方的なのである。 かと言って、世界の隅々まで出掛けたり、あらゆる人に会って聞く事もできないから、 流れる情報を受け入れる他ない。

報道メディアの役割は大きい。あのようなテロが起きた直後は各社が一斉に取り上げる。 そして民衆に多大な影響を与える。テロへの憎しみを共有し、 一時的な感情から報復への高い支持率を挙げるのも頷ける。 テロの撲滅など、後からついてくる論理だ。

 そうした事に気づいてメディアからの情報は話半分に聞く人もいるが、 多くのメディアが同じ事を言えば、知らず知らず信じてしまうものだ。 そしてやっかいな事に、人は感情を抑えることは出来ない。 それが多数になれば国を動かす。 そうして歴史は作られてきたのだが、必ずしも善い方向だけとは限らない。 民衆に多大な犠牲をしいて終った例も数多い。

情報伝達の速度は、昔と今では格段の差がある。 熱くなったり、しょぼんだり、我々民衆も忙しい。 しかし人の感情だけはそう簡単には冷めない。 時間が必要だし、一度振り上げた拳はメンツもあるから簡単に降ろせない。

アフガンへの爆撃から、これからアメリカがどう出るか見守りたいが、 日本も自衛隊を派遣するとなると、漫然と見ているだけでは済まなくなった。 今言われているようなテロを無くすには、 その原因を一つずつ解決していくしかなと思う。 アナーキーなテロに対しては逸早くその動向を捕える事だろう。 決して生易しい事ではないが…。

 およそ形の見えないもの対して、人は過剰な反応を示す。 見えない予測のつかない事象に対して、パニックに陥り易い。 メディアがそれを増長させるような事があってはならない。 起こった事を報道するにも、見出しの大きさを他と同じににして、事実を淡々と伝える。 そう言う配慮があってもいいのではないか。

 いや、最早現代は情報戦なのだそうである。 情報を操作して民衆を動かす時代なのだと言う。 こう言う時代は歌の文句ではないが、やだねったら、やだね〜〜、だ。

(KK)


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