「文学横浜の会」
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2002年5月7日
「法案制定に当たって」 今年の連休は、どう言う訳か忙しくて、仕事に出たついでに、腹いせにインターネットで遊んだ。 官邸ホームページを開くと、話題の有事関連法案、所謂、武力攻撃事態対処関連三法案と 個人情報保護法案が載っている。ちょいと覗いてみた。 何れもこれからの日本に大きく影響しそうな法案だ。内容は以下のようになっている。
■武力攻撃事態対処関連三法案
■個人情報保護法案
内容は見てもらう事にして、一読しただけでは、法律に門外漢の者には、判ったような判らないような、 要するに、ぼくには具体的にどう言う事なのかよく解らない。 法律を作るに当たっては、網羅的に作ろうとするから、表現が兎角曖昧になりがちだ。 その結果、解釈の仕方で、後々どちらにも取られるような事も起る。 理念が立派なのは間違いないのだが、解釈の仕方で全く違った方向に進むことだって有り得る。 また時の権力者、あるいは時代の変化で解釈の仕方が変わる事だって有り得る。 で、何を言いたいかと言うと、法律の条文と共に、この法律では何が出来ないかを具体的に、 例えば例を挙げて記述し、条文と同じ扱いが出来ないか、と言う事だ。 そうすれば条文の解釈をめぐって、判例が異なる、と言う事も少なくなるのではないか。 出来るだけ、想定できるケースを予測して、こう言う場合はこうだ、と。 つまり判例を作っておいて、何も最高裁の判決を待たなければ、解釈が確定しないなんて言うのはおかしいと思う。 そうでなくとも日本では、判決の出るのに時間が掛かり過ぎる。 しかしどんなに想定しておいても、現実は人の想像力を遥かに超えている。 その場合には法律の理念に照らして、改めて解答を出せばいい。 それが多くなったら、その法律は古くなったと見なし、新たに作り直せばいい。 とそんな事を考えるのは、「反対派」と「賛成派」の議論を聞いていると、 具体的な例を挙げて、だからいい、だから駄目だ、と言い合う場面を目にする。 それだけ条文を読んだだけでは、解釈がつかない事態が発生すると言うことなんじゃないの? それなら、法律を作るに際して、そのような議論を踏まえ、 色々なケースを記述して「いい・だめ」と明確にして法律の一部にすべきだと思うんだ。 それとも、権力者は俺の解釈に従え、って言うのかな? それならぼくは反対だ。 (KK) |
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