「文学横浜の会」
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2002年6月2日
「ワールドカップ」 ワールドカップが始まった。
「ワールドカップが始まったね。やばいよ」
駅で電車を待っている時に聞こえてきた女の子の会話だ。 思わず、ぼくは二人の女の子を見てしまった。 高校生かな、それとも大学生かな、いやいやもっと年を取っているかも知れない。 学生服を着ていれば兎も角、ぼくにはその区別がつかない。
「そうだね。私はハンシンしかわかんない」
ぼくにはちっとも解らない。思わず「それって、どう言うこと?」と聞きたくなったが、 変態と思われるのもしゃくだから黙っていたけど、なんかすっきりしない。 勝手に想像すると、周りがワールドカップだと騒いでいるのに、サッカーがちっとも解らないから、 それで取り残されると思っているんじゃないか。それで「やばい」のだろう。 いずれにしても、それに似たような俄かフアンが沢山いるのは違いない。 今回のワールドカップは、アジアで初めて開かれる事と、韓国と日本の共催と言う事で、大いに意義深い。 サッカーの実力は、残念ながらアジアは後進国。 今回も、韓国・日本とも、自国開催とはいえ一勝できれば、と言ったところが本来の実力だと思う。 決勝トーナメントに出られれば、大殊勲。まぁこんなところが世界の見方ではないか。 と日本チームを酷評する積もりはさらさらないが、外国人の監督を据えて、 日本チームの実力が向上したのは間違いないらしい。 アンダー17、アンダー19と言った年少時からの選手養成と合わせて、 協会および選手の意識改革を促し、世界に目を向けた指導を行った成果だと言う。 あたかも日産自動車が外国人をトップに据えて、会社を立ち直した事と合わせて論じる人もいる。 ここでも外の力に頼る、日本の姿が見えてくる。 種々の問題点はわかっているのだが、日本人の指導者だと中々問題が解決しない。 外圧に頼る、旧来悪癖から中々抜けられない。 もうそう言う事から脱却しないといけない、とぼくは思うんだ。 政治の世界でも同じような事が言えるかも知れないな。 ここは一つ、しがらみのない外国人の首相を招いて、日本の舵取りをして貰わなければいけない、 なんて言うことのないように……。 (KK) |
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