「文学横浜の会」

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2002年9月1日


「苦いアルバイト」

 人には五本の指がある。それぞれの指には決められた役割があり、また思い出がある。 くじで大当たりを引き当てた時、思わず力強く立てた親指。 学生時代に写真を撮る時にVサインを作った人差し指と中指。結婚指輪をはめた薬指。 そして遠い昔に何度もしたであろう「指切りげんまん……」の小指。 そんな思い出は誰にも必ずあるが、私の場合はその五番目の小さな指に特別の記憶がある。

 それは二十年以上前の出来事だった。
 大学を卒業するとすぐに母校の外科の医局に入った。当時は人手不足で入局後一月もすると、 近所の医院へアルバイトに行くことになっていた。 ろくな研修も受けず、メスの持ち方がわかり糸結びができる程度でよいとされていた。

 先輩から風邪薬の処方を教わり、それ以外の患者が来てわからなかったら電話しろ、 それから診断書は書くな、と言われて市内の外れにある医院に行った。 そこは老人の入院患者で一杯だったが、院長は留守というのが事前に知らされていたためか、 外来は閑散としていた。

 ガーゼ交換や簡単な打撲や風邪の患者をこなし、ほっと一息ついた時、 目付きの鋭い三十代の男が入ってきた。 唇が薄くて、短い眉はいつも怒っているように斜めになっている。 まばたきをほとんどしなかった。頭は角刈りで黒い服を着ており、右手にサングラスを持っていた。

 彼は丸イスに座ると握った左手を診察室の机の上に置き、私を威嚇するように話し始めた。
「実はちょっとばかしへまをやらかしたので、上のものから責められている。 ついては先生にお願いしたいんだが」

怪訝な顔をする私に、彼はいらいらしたのか低い声で鋭く言った。

「小指を詰めてほしい」

医局では患者さんには優しくしろと言われてきたが、 いくらなんでも医者がヤクザの世界に踏み込む訳にはいかない。そんなことはできないと断った。 すると彼はさらにこんなことを言うのである。

「それなら、指の根元に麻酔をしてくれ」

それだって似たようなことではないか。やはりできないと断ると、 彼はカッとなって私を指差して睨み付けた。

「これだから最近の若い医者はどうしようもねえや。『こころ』というものがない。 新聞に書いてある通りじゃねえか。 もし俺が手に怪我をしてきたら先生はちゃんとみてくれるんだろうな」
「もちろん医者だから診るよ、まあそんなことをする勇気があったらだけどな」
と売り言葉に買い言葉で私が横を向いたまま言い返すと、ぶつぶつ言いながら帰って行った。

 それから一時間ほど経っただろうか、玄関の方からうなり声が聞こえたかと思うと、 先程の男が蒼白になって駆け込んできた。

「早くなんとかしてくれ」

わめきながら手を押さえて苦しんでいる。上に被せたタオルが血で真っ赤に染まり、 玄関から診察室まで床に点々と血痕がついている。 腰を折り、顔をゆがめて苦しむ男を見て私は血の気が引いた。 あんなに偉そうにからかうんじゃなかったとひどく後悔した。

 タオルを取り除いてみると小指は完全に切断されていた。

「約束したな。早く何とかしろ」

男は唾を飛ばし、私を怒鳴りつけた。私はしかたなく小指の根元に麻酔を注射した。 私が動揺しているのがわかったのか、看護婦が私を事務室に呼び、整形外科の手術書を出してくれた。 目次を見ると断端形成術の記載してある箇所が見つかり、内容を読むと自分にもできそうだった。

「大丈夫よ。詰まったらあたしがみんな教えてあげるわよ」

年上の看護婦がいたずらっぽく笑い、私の背中を優しく押した。 少し勇気が湧いてきた私は、まるで熟達した外科医の様な顔をして患部を消毒した。 私の目の合図に従い、彼女が消毒された布を掛け、そして横の台に手術器具を並べた。

 手術中に聞いた話によると包丁を小指の上に当て、 体重をかけて一気に押しつけて切断したとのことだった。

こんなふうにして医師としての初めての手術は終わった。 私は手術を一人でやり遂げたという満足感を覚えたが、 同時に何か後ろめたい気持ちが隠れていることを感じていた。 それでこのことは誰にも話さなかった。

 それから四年ほどたったころ、私はある全国紙に載った記事を読んで愕然となった。
 それには福井で開業した母校の先輩の病院に日本中から多数の患者が来ていると記されていた。

 その病院は当時全国でも極めてまれな小指の移植手術を売り物にしていた。 ヤクザ者が改心し堅気になろうとしても、短い小指が障害となり社会には全く受け入れられない。 そのためにいつまでも苦しみ続ける人が多く、中には元の世界に戻ってしまう人もいるという。

 その医師は足のゆびを切断し、一ミリにも満たない血管や神経を縫合して、 それを手の小指に移植していた。 そのことによって元ヤクザが足を洗って「堅気」の世界に戻ることを助けていたのである。

 こうして私の始めての手術は、 結果として「博徒」として生きる事を助けていたことが分かったのだった。

 私は今故郷を遠く離れ横浜で開業している。 私の医院でも血圧を測ったり胸に聴診器を当てたりする時に、 シャツをめくりたがらない人がたまにいる。 大抵そんな人は背中に竜や観音様が彫ってある人達である。 六十代のそんな人達に「立派な入れ墨ですね」とほめると、 「あの頃は何を考えていたんじゃろうな。若かったちゅうことかなあ」 と後悔する様な発言ばかりが返ってくる。

 私は今でもふと彼のことを思い出すことがある。特にあの時の彼の目は忘れられない。 血に潜む自虐とでもいえばいいのだろうか、自らの悲壮感に酔っているようにも感じたのだった。 渡世にあっては、義理が絡んだ親分は血肉を分けた親よりも大切だというが、 あの光景を彼の親が見ればなんと思うだろうか。

 あれから二十年、彼も五十代になっているだろう。そしてそろそろ悔やみ始めてもいるだろう。 どんな仕事をしているんだろうか、ヤクザの世界も不景気になっているだろうか。 もうリストラされ、妻子を抱えて路頭に迷っているのではないか。

 もちろんそうは考えても、私は彼の名前も住所も覚えていないので何もしてやれない。 けれどもあの男にかかわった医師としてささやかに祈ることだけはできる。

 あの気の短い小心者の男が堅気に戻っていることを心から願っている。
 足のゆびを手につけてもらって。

<S.F.>


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