「文学横浜の会」

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2003年5月4日


「世の中の動き」

 2日(日本時間)、アメリカは「イラクにおける主要な戦闘作戦は終了した」と宣言した。 勝利宣言ではなく「イラク戦争の戦闘終結」宣言だった。

結果は、わかっていた戦争かも知れないが、懸念された大きな混乱もなく、 比較的短期間で終結に向いつつあるのは喜ばしい。 いや、問題はこれからで、真の秩序回復に至るには、 まだまだ様々な問題が残っているが、何より戦闘状態ではなくなったのはいい。

アメリカが勝利宣言ではなく、終結宣言にしたのは理由があるのだろうが、 日本が先の戦争で「敗戦」ではなく「終戦」としたのと重ね合わせて考えた。 ぼくは戦争を知らない世代だが、どうして「敗戦」とは言わないで「終戦」と言うのか?  「終戦」と言う言葉に拘る人の理由を注意して聞いたり読んでみたが、 どうもすっきり理解できなかった。 「敗戦」と言うのはプライドが許さないとかの問題ではなく、もっと深い意味があるらしいのだが、 すっきりとした論調ではないように思う。

「敗戦」と言えば、突き詰めればその責任問題が生じてくる。 当時の最高責任者と言えば、どうしても先の天皇を考えなければいけないから、 結果的に有耶無耶にしたいのかな?  逆に、アメリカが勝利宣言をしないのは、 「戦争の動機」にやましさを感じているからではないかと勘ぐりたくなる。

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実は、今月は地方選挙の事を書こうと思っていた。ぼくの住んでいる市でも市会議員選挙が行われた。 何を書きたかったかといえば、出勤時の不快な思いを、だ。 一週間と短かったからいいようなものだが、どうしてあんな不快な思いをするんだろう。

駅にずらりと立候補者とその運動員が並んで「出勤ご苦労様です。XXXをお願いします」の合唱だ。 それも4・5人の候補者が集まると、その中を出勤する気の弱いぼくは、 なるべく運動員の顔を見ないように下を見ながら駅を通り抜けた。 見ず知らずの、なんの拘りもない人に声を掛けられたって、不快な思いをするだけだ。

理屈では、地方選挙が一番実生活に直結しているとは解るけど、どうも胡散臭い連中に思えるんだよ。 政党活動家や、選挙に熱心な宗教の信者、或いは近所の世話役、 そう言った類いの連中なんだけど、そうした者達が市議会を構成しているんだね、きっと。 普段は余り付き合いはないのに、近所の人が候補者と一緒にきて 「後援会に名前を入れてくれ」と言われ、 「はいはい、どうぞどうぞ」と言ってしまう自分にも腹が立つ。

俺をバカにしているよ、こいつは。名前を書いてやったけど、投票なんてするもんか。でも、 投票してくれと言われて何かを出された「はい、どうもどうも」と言って貰ってしまうな、きっと。

大きな声では言えないが、ぼくは地方選挙に一度も投票した事はない。 だからこんな事を言う資格はないけど、地方政治の仕組みも含めて、 もっと真剣に考えなければいけないと思う。

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アメリカの戦争終結宣言と同時に、イラク問題への関心は薄れて、 重症急性呼吸器症候群(SARS)の問題と北朝鮮問題がクローズアップされている。 本当、世の中の動きはなんとも早い。

両方とも日本に近く「イラク問題」とは違った視点で考える必要がありそうだ。 特に北朝鮮問題では韓国との関係を蜜にして、アメリカとは一線を劃す腹も必要だろう。

情報の伝達速度が速くなって、本当、世の中の動きは早い。 でも本当はそんなに問題にするような事でもないのに、 情報量の多さで問題を大きくしているのかも?

情報の伝達速度が早くなって良かったのは、多分、SARSの問題だな。

<K.K>


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