「文学横浜の会」

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2003年7月5日


「変革はいつ!」

 先日、テレビを見ていたら、産廃処理の問題をやっていた。

 番組の内容はざっと、こんな内容だった。

 県で指定した産廃処理場に産廃業者が産廃物を持ち込んで、それが原因で、 周辺地域に悪臭・水質汚染等の問題が発生した。 周辺住民が県に陳情、或いは善処を求めて掛け合うが、県は何もしてくれない。 町役場でも県に、何とかしてくれと働き掛けるが、県は何もしない。 県と周辺住民・町役場の関係が険悪になって、とうとう訴訟騒ぎになった。

この問題について、番組の担当者が県に質すと、県の見解は、 「そこの産廃処理場は材木・ガラス等の安全な産廃物を処理する場所として許可してあり、 そんな危険な廃棄物が捨てられている筈がない」と言わんばかりの対応…。

 と、まあざっとこんな内容なのだが、この騒動の中に、 今の日本の直面している問題点が凝縮しているように思う。

 一つは、まず地方自治のあり方だ。

日本の閉塞感の原因の一つに上げられている、国の補助金バラマキによる地方への締め付けによって、 県は国の意向を気にしながら県政を行っている。 その補助金もいろいろな制約があるから、 結果的にお金が有効に使われていないと言われる。 同じような事が、県と各市町村との関係でも言えるのではないか。 つまり極端な事を言えば、県は国を、市町村役場は県の意向を気にして、 結果的に地方では税金が効率よく使われていない。

そう言う点からいえば、町役場が周辺住民の立場で県庁に対して物を言う構図は、 頼もしく思うし、県の対応は全くと言うか、日本の「役人」そのもののように思えてならない。 恐らくお金を流す権限に起因するのだろうが、国と県、県と市町村、の関係が、 まるで上下関係のように見えるのは、なんともおかしな事だ。

補助金と言っても、税金であり、出所は国民なのだ。

公益サービスを受ける立場の住民にとって、市町村役場であろうと、県であろうと、 ましてや国であろうと、そんな区別はない。 住民の生命、権益を守るのに、公的な手助けが必要なのに、 住民を無視した県の態度に腹立たしさを覚えるたのは僕だけじゃないだろう。

 二つ目は、公務員のあり方だろう。

 本来、住民を守る立場の役人が、住民の苦情、要請に冷淡なのはどう言う了見なのだろう。 もし県庁の職員が、市町村役場の監視指導の立場だと錯覚しているとすれば、大きな間違いだ。 国や県の職員と言えども、市町村役場の職員と共に、住民に奉仕する立場に変わりない筈だ。

国から県、県から市町村役場、日本の官僚組織が階層化された構図が見えてくる。 これは住民にとっては何の利益にもならないし、日本にとってはかえってマイナスの部分が多い。

今回の問題のように「この処理場は安全な廃棄物を捨てる場所として認められたので、 危険物があるかどうかのチェックをする必要はないし、そんな決まりもない」 等と言わんばかりの態度は、住民の立場に立てば、決して出来ない筈だ。 例え法律に書かれていないことでも、住民の立場になって事に対処しなければいけないのに、 これも制度が硬直化している事の表れなのだろうか。

*****

 日本を本当に活性化しようと思うのなら、もっと地方に権限とお金を移すべきだ。 明治維新で中央集権化がなされたのとは逆に、今の閉塞感を打破する為にも、 今度は地方への分権化が、財政の移管と共に急がれる。

補助金も、国の役人の匙加減でばら撒かれるのではなく、法律によって配布するルールを決めればいい。 例えば、県の面積と県民の数で、自動的に配布する率が決まっていれば、 政治家が介入する余地もなくなるだろうし、国の役人が地方の些細な事に口出し出来なくなる。 自動的に決まれば、国の役人の数もそんなに要らなくなり、真に国レベルの事をすればいい。

税金がなんの制約もなく地方で使えれば、地方独自の使い方が出来るだろう。 地方行政の真の手腕が問われる時代になる。

戦後の日本あるいは明治維新の日本のように、一度すべてを見直して、 もう一度日本の骨格を再確立しなければいけないように思う。 それも外圧を受ける事無く……。

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これから日本は、少子化の問題が緊急の課題なのだが、その対策と言ったら、 まるで遅れている。 勤労者にも子育て休暇制度を設けるとか、まるで職場を知らない人が、 ただ言葉だけで対策を立てたに等しい。 有給休暇も満足に消化しきれないのに、どうして夫が育児休暇など取れるのか?  小手先だけの対策で、今の政治家・官僚のやることは万事がそんな具合だ。

でも、考えてみれば、世の中の変化は何時も“急”なのではないか?  少子化を、地震や火山噴火のように考えれば、分かっているだけ、 そんなに深刻に考える必要はない、とぼくは思うんだ。 人口が減る事は、世の中が活性化しない事は確かだけど、 ゆったりした生活が出来るんじゃないのかなぁ。

つい最近まで、日本は人口が多すぎる、と言っていたんだぜ。 だから、人口が少なくなるような仕組みにすればいいだけのことさ。 それがなかなかできない事が、問題なんだ。

<K.K>


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