「文学横浜の会」

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2004年1月4日


「デジタル元年?」

 気がつけば、もう年が明けていた。 年末、仕事が忙しかったせいか、そんな感じがしている。 今年はどんな年になるのだろうか、と柄にもなくそんな事を思うのは正月だからに違いない。

正月ともなると一年の目標をたてる。そんな大袈裟な事ではないが、自分の中の決意と言うか目標と言うか、そんなものだ。 今年はまだ出掛けてないが、近くの神社にお参りに行って、心の中の決意を願う。 毎年ではない。何処かに出掛けたついでに立ち寄る程度だから、神様はお見通しで、一度も適えられた例はないが…。

 今年はどんな年になるのだろう。 陸上自衛隊を何時イラクに派遣するのだろうか? 景気は明るい兆しを見せるだろうか?  夏の参議院議員選挙はどんな結果になるんだろ? 少子化傾向はまだまだ続きそうだけど、 国の借金や年金問題を解決する政策は打ち立てられるだろうか? 

 正月早々、重苦しい問題が一杯あって、考えると本当、この先日本はどうなるんだろうと思う。 国のリーダーになった人はさぞ大変だろうな。それなのに小泉首相のあの軽々しさは一体なんなんだ。 国民の人気に頼るリーダーが、後々大変な災いを国民に強いる、と言うような事にならなければいいが。

僕自身の抱えている問題と言えば…、おっと、内緒だ。ここでは言わない。きっと馬鹿にされちゃうから。

 さて、これからはデジタル放送の時代だと言う。正確に言えば、NHKでそのように喧伝している。 後何年かしたらデジタル放送が主流になって、過渡期間を経て今の(アナログ)放送は無くなるのだそうだ。 デジタル放送を受信するには専用の受信機が必要になり、それなりの受信契約をしなければならなくなる。 つまり、NHKが自分の商品の宣伝をしているようなものだ。

同じような事が衛星放送の時もあった。つまり我々が受信料を支払って成り立っている公共の電波で、 己の商品の宣伝をしていると同じではないか。 公共の電波で宣伝し、衛星放送契約者を獲得して、つまりは衛星受信料を得ている。 僕はそれが不満なのだ。時代の趨勢で新しい放送手段が増えたとしても、 少なくとも公共の電波で宣伝するようなものは、視聴者に新たに料金を求めるような事はあってはならない、と僕は思う。

NHKの衛星放送の宣伝を見た年寄りが、じゃあ入れようかと衛星放送のアンテナを購入して、 新たに衛星受信料を取られると聞いてまるで詐欺にあったようなものだと思ったと言う。 そうでなくてもチャンネル数は多いから、その上にチャネル数が増えてもそんなに見やしないしないよ。 むやみに購買力を刺激するのは単なる宣伝に過ぎない。

ともあれデジタル放送の時代はすぐそこまで来ている。インターネットの普及と相俟って、 これからどんな時代になるのか、楽しみでもあり不安もある。僕のような者にはついて行けなくなるのではとの危惧もある。 携帯電話にしろデジカメにしろ、仕様書と呼ばれるものは多機能過ぎて全てを理解するには難しい。 必要な機能があれば十分なのに、メーカーが競い合って色々な機能を持たせるから、返って使い悪くしてい事もある。 それに小型化を競う余り、扱いづらくしている。そう言う事に慣れていない人や、年寄りには尚更だ。

 新しい事は先ずは若者向けに発信されるが、これからの人口構成を思えば、五十歳以上が多くなる。 それ自体は由々しき事だが、事実は事実。そうした老壮年齢を対象にした商品開発を進めてほしい。 それでこそ「デジタル化で便利な生活が実現できる」と言えるのではないか。

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 毎年、楽しみにしている大学箱根駅伝のテレビ観戦も終わり、僕の正月は終わった。 やっぱり駒沢大学は強かった。走った選手全員が力を発揮するのはやはり指導者の力・情熱によるものだろう。 前評判が高かったとはいえ、評判通りの結果を残せるのは、ひとえに指導者の手腕であり、個々の選手の努力による。 対抗と思われていた大東大学、日本大学結果は、アクシデントがあったとは言え、がっかりだ。 それだけ駒沢大学の充実振りが目立った。

<K.K>


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