「文学横浜の会」
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2004年3月7日
「3月、妄想」
僕らは今、恐々と脅えている。
海の向こうの話と聞いていた鶏インフルエンザが、ついに対岸の火事とは言えないような状況になった。
僕ら鳥類の仲間が、遠い向こうからインフルエンザを運んで来たのだそうだ。
自由に空を飛べる仲間を、僕らは羨ましく眺めているが、
インフルエンザのバイ菌まで運んで来るとは、なんともやりきれない気持になる。
僕らには一応「羽」はついているが、情けない事に無用の長物だ。この世に生まれてから一度たりとも空を飛んだ事はない。
空を飛ぶどころか狭いスペースに閉じこめられて、大きな処では何十万の仲間が一生を過ごす。
太陽の光を見ることは決してない。そこは「養鶏場」と呼ばれる。
悲しいかな子孫を生み出す為ではなく、僕らは人間の為にせっせと卵を産み落とす。
何日か前、生殖機能の衰えから卵を産みだせなくなった、以前からここに居た隣の先輩が、
引きずり出されて何処かに連れて行かれた。見送るみんなは何も言わない。
何処に行くのか誰も口にはしないが、暗黙裡にみんな解っている。
「元気でな!」等と言っても、殺される仲間にそれは惨いから、見て見ぬ振りをしているのがせめてのはなむけだ。
聞いた話だが、近くでインフルエンザの患鶏が出たらしい。発見が遅れて、仲間の多くが死んだと言う。
感染して死んだのなら諦めもつくが、どうやらそこの「養鶏場」の仲間すべてが殺されたらしい。
虐殺だ! 虐殺だ! 僕らがどんなに大きな声で訴えても、誰も聞いてはくれない。
もし僕のいる「養鶏場」でインフルエンザが発症したら、健康な僕らでもきっと殺される。皆殺しに遭う。
そう言えば、鯉のウィルスが問題になっていたのはそんなに前の事ではない。
池の鯉が全滅したとか。蔓延を防ぐために池の鯉を皆殺しにしたとも聞いた。
僕らには関係ないと思っていたその頃が懐かしい。その前は牛さんのBSE問題もあった。
こんな問題が発生してからなのだろう、捨てられる仲間が増えていると言う。
自由になれるのは嬉しいが、勝手なものだ。食べる物もない場所に抛り出されて、どう生きろというのだ。全くやりきれない。
そうそう、ペットを対象にした健康保険があると言うではないか。でも犬属や猫属が対象で、僕らには無縁だ。
だからひとたび病気になれば殺される。僕らは人間の食料として飼われているのだから、それは当然なのだそうだ。
それもこれも、ただ人間の為になんだ。
種を保つ事は、生きると言うことはきっと大変なんだろう。
今は僕らの上に君臨している人間だって、どうなるか判らないと思う。
生きると言う事では、地球で生きる生命体としては、同じな筈なんだから。
もっともっと大きな何かが、人間を虐殺、だなんて考えるのは、妄想に終わってほしい。
*****
2月の中頃、真冬にしては暖かい日が続いて、もうこのまま春かと思わせる陽気だったが、
3月になって冬らしい寒さに戻った。とは言え年々温暖化が進んでいるのは間違いない。
暖かい日差しに誘われて、しっかりと芽を出した春咲き球根も、今は芽をすぼめている。
フキノトウはもう花開いた。花桃も今にも咲きそうな気配がする。
もうしばらくすると先月植えたジャガイモの芽も出てくるだろう。
やはり春は早く来てほしい。
<K.K>
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