「文学横浜の会」

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2005年1月4日


「地球と災害」ー新しい年に当たってー

 新しい年を迎えた。
想えば、昨年は自然災害の年だった。台風災害、洪水災害、地震災害、それに年末になっての津波災害。 津波災害は日本が直接被災した訳ではないが、日本人の犠牲者も数多くでている。自然災害は何処で発生しようと、 多くの犠牲者を出す人類共通の災害だ。 犠牲者を最小限に止めるために、英知を集めて対策を怠らないに越したことはないが、 自然災害は人智を越えた大きさだ。

 先月、NHKのテレビ番組「地球大進化」(46億年・人類への旅、そして未来) を観て、46億年前の天地創造から約40億年前に地球上に微生物が発生して以来、 進化と滅亡の繰り返しだったと言うことを改めて認識した。 時に地球上は熱い熱気に覆われ(全海洋蒸発)、 ある時は冷たい氷に覆われた時代が続き(全球凍結)、マグマの噴出(スーパープルーム)、 大陸移動、隕石衝突、等の変動を繰り返してその度に生命体は絶滅か進化を繰り返してきた。 恐竜が地球上にわが者顔で闊歩した時代もあった。繁栄を謳歌していた生物は絶滅したが、 我々の祖先はそうした環境の中である時はひっそりと命をながらえ、或いは進化を繰り返し、生き延びてきた。

つまり繁栄を謳歌していた生命体は環境の激変に対応できないで絶滅し、 その時の弱者が、地球変動の度に進化を繰り返し生き延びてきた。

今は人類が地球上で闊歩しているが、「今」と言う時はそうした進化と滅亡の繰り返しの中の一コマにある。 と言うことは何らかの変動によって「人類の滅亡」と言う事態もある訳で、何万年後、いや何千年後になるのか。

自然災害が続くと、ふとそんな事を考え、人類は地球上で生かされている、と言う思いを抱く。

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 何万人もの犠牲者を出す自然災害だが、自然に対して報復せよ、等と言う愚か者はいない。 むしろ人類にたいする自然の報復だと考える人は多い。 それだけ我々人類は自然を破壊していると言うことではないか。

「攻撃されたら、報復せよ」と言うのがある。攻撃されて被害がでれば、報復に異論を挟む声は隅に追いやられる。 でも、もうこういう発想は止めた方がいい。報復とは、「仇討ち」と同じようなものだ。

仇討ちは武士だけに許されていた復讐で、殺害された者の親族が、手を下した者を討ち取る行為を指す。 とは言え仇討ちには法的な規定はなく、所謂、慣習法であったため、江戸時代には色々な例外を生んだそうだ。 その「仇討ち」も明治時代になって法的に禁止された。

 報復攻撃も、いわば法的に根拠のあるものではなく、慣習のようなものではないか。 であるなら、江戸時代の仇討ちが、様々な例外を生んだように、報復攻撃も報復側の論理、 その時の勢いに流されてしまう虞がある。これは理性的ではない。

 いずれ人類滅亡の時代がくる。何千年後、何万年後であってほしいが、確実にそうした「時」がくる。 その事を忘れてはならない。我々は地球上で生かされているのである。

 今年は世界的に通用する「報復禁止法案」の元年にしたいものだ。

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 今年も箱根駅伝を観て、正月を過ごした。 駒沢大は強かった。来年はどのチームが優勝を狙うのか、多分、混戦になるだろうな。それを期待している。

<K.K>


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