「文学横浜の会」

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2005年7月3日


「仏教の道徳」

 梅雨入りしてからも雨が降らず、西日本では水不足による渇水問題が現実になりつつあると報道されていた。 一部地域では深夜の給水制限に踏み切った。それが6月末から北陸で豪雨、 7月に入ってから中国・四国地方でも地域によって豪雨となった。 それで一気に水不足の解消となればいいが、自然はそんなに優しくはない。 この時季、雨が降らなければ真夏の水不足、農業ではお米の発育に深刻な問題となる。 しかし豪雨となれば、多大な災害をもたらす。本当に自然は気まぐれだ。

そうした自然現象に人間の存在が大きな影響を与えているのは言うまでもない。 排気ガスの排出による大気汚染、樹木の伐採による環境破壊、冷暖房機器等によるエネルギー消費量の増大、 等等と言った人類がただ存在しているだけで自然環境に大きな影響を与えている。 大洪水、長期間の渇水、巨大な台風・ハリケーン、 地球上の何処かで、それまで人類が経験したことのないような現象が発生して、多くの犠牲者もでている。 自然が一寸変化しただけで、この地球では人間生存がとても難しくなる。 そんな事態になるのは何万年後、いや何千年後であってほしいのだが、、、。

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 最近、きな臭い事件が耳に入ってくる。 子が親を殺害し、兄が妹を殺し、学校ではクラスの学友の殺害を実行する。 一方では「若・貴」の不仲による遺産相続問題が相変わらず週刊誌やテレビのワイドショーを賑わしている。 「若・貴」問題は無論真相は判らないが、「他人の好奇心」に違いないだろう。 多くの暇人がいて、週刊誌やテレビがそれらの人に「興味本位」に伝えている。ぼくにはそうとしか思えない。

何れにしてもこれらの問題は今に始まった事ではない。ただそれが多すぎる。 一度報道されると、立て続けに類似の事件が発生するように思う。 と言うことは、ストレスを溜めた暴発寸前の多くの人がいると言うことだろう。
今の世の中、すっかり余裕のない時代になってしまった。

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「仏教の道徳」

「反時代的密語」梅原猛 (H17.06.21朝日、朝刊)より、

「私は現在の日本人の道徳的退廃を深く憂慮するものである。」とそれは始まる。 「日本人はもう一度、真剣に道徳について考えなければならないと思うが、 それには日本人の心情を千年以上の間培ってきた仏教の道徳を想起すべきであろう。」
「仏教の道徳には十善戒と六波羅蜜がある。」
「十善戒はしてはならないこと。六波羅蜜はすべきことの規定である。」

 そこでは「六波羅蜜」について書いている。
「六波羅蜜とは布施(ふせ)、持戒、忍辱(にんにく)、精進、禅定(ぜんじょう)、 智慧(ちえ)という六つの徳を完成させることである。」

「持戒は戒律をまもり、禅定は瞑想をし、智慧は知恵を磨く徳であり、 釈迦が愛欲を滅ぼすために必要な徳として挙げたものである。」

「布施には財施・法施(ほっせ)・無畏施(むいせ)の3種類がある。つまり人に物を与える財施のみではなく、 今私がここで仏法について語るような、法を与える法施も布施であり、また悩める人の話を聞いてやってその人の不安 を取り除く無畏施も布施なのである。」

「忍辱はただの忍耐ではない。辱めに耐えることである。」
「精進というのは努力とは多少意味が違う。それは愛欲を抑え、心を整えて一心不乱に仕事に励むことである。」

「子どもは無償の布施を受けて成長し、自らが子どもをもうけると、 また無償の布施をする身とならなければならない。」とも言う。それは人間だけではなく、動物も、 つまり生きるものの定めでもある。

また、梅原氏は「税金というものは義務化された布施である」と考える。「税金を払わない大金持ち…、 彼は全く布施をしない人で、仏教の道徳からいっても人間として不適格者であるいわねばならない。」と言う。

その税金が我々サラリーマンに多くを強いるのはどうしたことか、 と先に新聞に載った税制改革の記事をみて思うぼくは、徳が足りないのだろうか。

<K.K>


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