「文学横浜の会」

 エッセー


INDEX 過去のエッセー

2005年10月2日


「自民党の大勝」− 二種廻向と親鸞 −

 先月の郵政民営化法案の参議院での否決による衆議院の解散、そして総選挙の結果である。 確かに、投票日当日からそれまでの投票の雰囲気とは、何処か違う印象をもったのはぼくだけだろうか?  投票率も5ポイントほど上がったという。 投票率が上がったことを喜んでいいのか、ぼくは正直疑問に思う。 成る程、普段選挙には見向きもしない若者を投票行動に駆り立てたことは大きい。
でもその内容なのだ。

今、選挙結果については色々な分析が行われていると思うが、今後の、少なくとも4年間、 日本の政治を任せるにしては、余りに論点が片寄っていなかったか。 郵政化問題だけが大きく取り上げられ過ぎだ、とは誰もが指摘することだが、結果は結果だ。 投票行動だけではなく、しっかりと自分の投票した議員を見詰め続ける必要がある。

まあ、何処の国にもどんな時代にも民意には流れがあり、 それは必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。歴史を振り返れば明々のことだ。 しかし良い結果をもたらすか悪い結果になるかは、 与党に大勝をもたらした国民の側にあることは間違いない。

*******

アメリカ南部のニューオリンズ付近では、 カトリーナ・ハリケーンによる災害で打撃を受け、そしてまたリタ・ハリケーンに襲われた。 まさか、これは自然からのテロ行為だ、などと称して軍隊を派遣し、復讐戦を目論むことはないと思う。 しかしこれは、人類による自然への破壊テロ行為に対して、自然からの復讐ではないだろうか。

地球温暖化に関する京都議定書を拒否したアメリカでの災害に、なんともやりきれない思いがある。 ハリケーン、サイクロトロン、台風と年々その被害が巨大化している。 日本でも台風の被害は大きな問題だ。それが地球温暖化と無縁ではないことは多くの識者が指摘している。 地球温暖化は一国だけの問題ではない。 一国のエゴで自然破壊を加速させてはならない。

*******

二種廻向と親鸞  反時代的密語  梅原猛  H17.09.20朝日朝刊

「歎異抄」(たんにしょう) 著者:唯円
 江戸時代中期、妙音院了祥が著書「歎異鈔聞記」で、著者は唯円とした。
 一般に知られるようになったのは明治末期、清沢満之とその弟子、
 暁烏敏、佐々木月樵、金子大栄たちのおかげである。

 唯円は親鸞の高弟であり、親鸞の死から30年後、親鸞の教えが誤って伝えられるのを嘆いて書いたという。

 「歎異抄」第三章「善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」では、
 悪人正機説(自力作善の人でない、自力では生死を離れることのできない
 煩悩具足の悪人のために極楽往生の教え)を説いたと親鸞はいう。

悪人正機説を親鸞思想の中心におくことは親鸞思想の誤解ではないか、と梅原氏はいう。

親鸞を正しくとらえるには、親鸞の主著「教行信証」によらねばならない。
 「信の巻」には悪人正機説のもとをなす悪の自覚について語られている。
 「証の巻」では二種廻向(えこう)を説く。
 法蔵菩薩は難行苦行をし、四八の願を立てて阿弥陀仏になり、
 その広大な善行を人間に廻向した。
 廻向には二種がある。「往生廻向」と「還相廻向」
 「往生廻向」
(どのような悪人でも口称念仏をすれば必ず極楽浄土へ往生するという廻向)
 「還相廻向」
(極楽浄土に行った人間がまた衆生救済のためにこの世に帰るという廻向)

この二種廻向が語られている教典は、
 天親の「浄土論」
 曇鸞の「浄土論証」

天親によれば極楽には五つの門があるという。
 1,まず阿弥陀仏に礼拝し、
 2,次に阿弥陀仏の徳を讃嘆する。
 3,次に自分も仏になることを願う。
 4,そして遍(あまねく)く世の中を観察する。
 その結果、阿弥陀仏の世界のすばらしさと同時に
 この世で悩める人間の姿も見えてくる。とすれば、
 5,悩める衆生を救うためにまたこの世に帰らざるを得ない。

 仏教は利他の教えであるので、念仏者はいつまでも極楽浄土にとどまることができない。

二種廻向の説は法然の説でもあるが、法然の主著「選択本願念仏集」ではほとんど語られていない。 「もっぱら善導に依る」という法然とはひと味違った浄土思想を親鸞は持っていたのであろう。

近代真宗学はこの二種廻向の説をほとんど説かない。

悪人正機説に甘える近代真宗学には、永遠性の自覚と利他行の実践の思想が欠如していつように思われる。

<K.K>


[「文学横浜の会」]

禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000-2004 文学横浜