「文学横浜の会」

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2005年12月4日


「若者のエネルギー」

「ひとはなぜ苦しむのでしょう……
 ほんとうは
 野の花のように
 わたしたちも生きられるのです」

 とはじまる、柳澤桂子著「生きて死ぬ智慧」は生命学者としての著者の到達点だろう。

冒頭のこの一節は、何度読み返してもこころにひびく。この著作については各方面でとりあげられているから、 多くの方がご存じだとおもう。「般若心経」の著者自身の解釈とある。

 この著作は、長年にわたって難病とたたかっている著者自身の精神の到達点とも思われる。 日々の事ごとに困難や悩み、そして苛立ちを覚えたら、この冒頭の一節をおもいだせばいい。 宇宙のなかの自分という「無の存在」をおもえばいい。 どんなにおおきな悩み事も、ちっぽけなとるにたらないことだ。

どんな修行をしてもぼくには「無」という境地にはなれそうもないが、 この書を読めば、ぼくという存在はそこいらの石ころとおなじように、 単に原子の密度の高いかたまりにすぎないことをおもい、無の境地になれるような気持になるから不思議だ。 ぼくという存在も、あらゆるものの生死も、宇宙のなかでは連綿とつづくいとなみのほんお一部にすぎない。

ぼくたち凡人に、こうした偉大な到達点に導いてくれるのは、いずれも自身が困難な環境で生きている方たちである。 深い困難な悩み事や問題をかかえている者こそ、深い思索に至るということでもあろうか。

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 さてさて、フランスでは若者が騒動を起こし、社会問題化しているとの記事が出たのは10月頃だったか…。 今は沈静化したようだが、問題の本質が解決したとはとても思えない。問題を起こした若者は、 かつての植民地からの移民の第二世代だというから、イギリス同様、特殊な背景があるのかもしれない。 しかしいつの時代でも、若者が現実に不満をもつのは時代の流れだとおもう。

日本でも、今では考えられないが、1960年代から70年にかけて学生を中心に騒然とした運動が巻き起こった。 若者が動くということは、羽目をはずす、ということでもある。若者のエネルギーとはそういうものだ。

もっと前は、明治維新の原動力になったのも多くの若者のエネルギーの燃焼だろうし、 先の大戦に追いやったのも若者の暴走からだったとも考えられる。 いずれも時代背景があるから、若者の行動だけが時代を動かしたという単純なものではないが、 若者のエネルギーなしには時代は動かなかっただろう。

 そう言うことを思いながら、今の日本の若者を考えるとなんだか不気味だ。 「ニート」だとか「引きこもり」だとか、およそ若者が世間に対してあまりに内向ではないかと思う。 日本の将来を思うと少子化問題、正規社員の抑制、賃金格差の増大、勝ち組・負け組といった不公平の増大、 国の借金問題、等等、若者の置かれた立場はそれほどかがやかしいもとは到底思えない。 それなのに若者の怒りの声が聞こえてこない。

もっとも先の総選挙では、普段は選挙に関心のなかった若者が、劇場型選挙とかで投票所に向かったとの分析がある。 その結果が自民党の圧勝をもたらしたのだが、それはあくまでも国会議員の数である。 なんとも皮肉な結果ではないか。選挙の圧勝をもって、日本の政治はますます賃金格差の増大、 勝ち組・負け組の格差を大きくする政策に流れる方向にある。 投票数をみればそれほどの差はないのに…。

いずれにしても若者が動いた結果なのだが、若者がエネルギーを表出したものとは違う。 多くの問題を抱えている若者はまだまだ引きこもっている。 そうした親の世代は、07年問題とやらで、どんどん会社から離れていく。 親のすねにはもう頼れないのに、ただひきこもっているだけでいいのだろうか。 なにより若者のエネルギーは何処へ行ってしまったのか。 それとも今はエネルギーを溜め込んでいる時期なのだろうか。

このまま沈黙が続くとはおもえない。今はマグマとして堆積しているのだと思いたい。

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 町にジングルベルの音を聞くようになって、立て続けに殺人事件がおきている。それも小さな子供が犠牲者だ。 今に始まったことではないが、世の中、何かおかしい。なにかギスギスしている。 冒頭の一節を、みんなが思いだしてほしい。

人間は、考えること、或いは知性という動物や植物にはないものと引き替えに、 欲望と共に苦悩や悩みを受け入れてしまった。 ぼくには到底、無の境地にはなれそうもないが、少なくともそれに近づきたいと思っている。

生きるために飢え死にしないだけの物があればいいのに、人は余りに多くの物を持ちすぎている。 それなくしては生きられないような錯覚にとらわれている。と言うのも欲のなせる業だ。

<K.K>


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