「文学横浜の会」

 エッセー


INDEX 過去のエッセー

2006年 4月 2日


「若者よ、怒れ!」

 桜が満開だ。 今年は早かったのか遅かったのかと思うまでもなく、僕が子供だった頃と比べると満開になる時期は確実に早まっている。 これも地球温暖化の影響だが、清々しい気持とは裏腹に気象の変化に一抹の不安を感じるのは僕だけではないだろう。

*******

 勝ち組・負け組、格差の拡大等というような言葉を聞くようになって、一方でそれは当然と言うような論調もあり、 もはや総中流という認識は遠い昔のことのように思われる。確かに、努力しない人が収入が少ないのは理解する。 でも今の格差拡大はそんな単純なことではない。 所謂、大企業と中・小企業との賃金格差がそのまま格差の拡大に繋がっている。

それにニートと呼ばれる若者と不定期雇用従事者、所謂、派遣社員が負け組、低賃金労働者に当たる。 それら年収2、300万円余りの者と、大企業従事者との年収格差は歴然としており、 彼等彼女等には将来賃金が上がる望みもないし、雇用が保証されている訳でもない。 それらの若者の年齢は30歳前後の者もおり、平成の大不況の時代に社会に出た若者で、 何処の企業も採用を手控えていた時代に社会に出た若者達だ。時代が悪かったといえばそれまでだが、 これを見ても負け組は個人の努力が足りないということだけではない。 そうした世代は、こんな言葉は死語になってしまったが、結婚適齢期の世代でもある。 少子化問題が叫ばれているが、こうした雇用状況にある若者は結婚し子供を儲けようとするだろうか。

 誰がなんと言おうと、同じ労働をしているのに派遣社員と正社員との賃金に格差があというのは絶対におかしい。 大企業と中・小企業との賃金格差の拡大も、大企業のエゴのように思えてならない。より安く下請けに出す結果なのだが、 中・小企業も大企業の言いなりにに仕事を請ける姿勢は改めた方がいいのではないか。 団結して不当に安い仕事は請けない、そういう談合なら大いにやった方がいい。

 昨今、不況からの脱出がいわれるようになったが、本当にそうだろうか。 不況に対する感触は都市部と地方とでは異なるが、都市部でも不況を脱したとの実感はまだもてない。 株の世界や、大会社の収益改善を指して不況脱出と言っているのだろうが、労働者の顔色をみてもそんな実感はない。

*******

 相変わらず中高年の自殺者が多いという。昔の不況は餓死者が出たが、今の不況では自殺者が多くでる。 どちらも厭なことだが、自殺者が多く出るというのは、なんとも陰湿な感じがする。

それに何より、昨今、働く者の顔から輝きが失われてしまった。 そうした状況の中で生まれ育った子供達はどんな影響をうけるだろうか。 親の背中を見ながら、自分の将来にどんな希望を見いだすだろう。 過剰な競争社会。収益のみを追求した結果、無駄をなくした余裕のない組織。それやこれやで労働者は疲れ切っている。 そうでなくとも外で働くことは或る意味苦痛を伴う。でも生きていくためには誰しも働かなければいけない。

 今、親の収入格差がそのまま子供の学力格差になっているという。 収入のある子弟は公立校を避けて私学に通わせる。入試に必要な学力は塾で学ぶ。 公立校では皆のレベルに逢わせて授業を進めるから、なかなか全体のレベルアップにはならないし、 そもそも授業そのものが満足に進まないクラスもあるそうだ。原因は様々あるだろうが、それだけ社会は病んでいることなのか。 何時の時代にも教育問題はあるが、少子化のみがクローズアップされて、 或いは社会構造の急激な変化に追われて子供達のことは忘れがちになってしまう。 ぼくらはもっと教育問題、子供達の将来を真剣に考える時だ。

*******

 フランスでは新「雇用制度」で若者が怒り狂っている。 昔、日本でも若者達がデモを組んで怒りを爆発させた時代があった。 若者達はいつの時代も漠然とした不満や、現状に対する不満を持っている筈だ。それは或る意味健全なことだ。 でも今の日本の若者は如何にもおとなしい。覇気と言ってもいい何かが伝わってこない。 それとも表現の仕方がぼくらの時代とは違うのだろうか。

 ともあれ、日本の若者達は今こそ、
「不定期労働者の待遇を改善しろ!」
「派遣労働者の賃金を社員と同じにしろ!」
「大企業は不当に安く下請けに押しつけるな!」
と叫んでもいい筈だ。そんな若者・学生のデモ隊が現れたら、きっと団塊世代のおじさんやおばさん達は快哉を叫ぶと思うよ。 デモに参加するかも知れない。若者達がもっともっと働いてくれなければ自分達の年金も危うい時代なんだから。 それにしても日本の若者はおとなしい。何時か日本の若者も怒りを現す時がくるのだろうか。

*******

 航空機会社での不手際が相次いで発覚している。 日本航空やスカイラインで次々と不祥事が明るみにでて、利用する方としては些か不安になる。 まだ明るみにでていない航空会社は本当に大丈夫なのかと思う。

航空業界の規制が緩和されて競争原理が導入されて、考えてみればこれは或る程度想像され現象でもある。 先に競争原理が導入されたアメリカの航空業界では、幾多の会社の淘汰があった。 勝ち抜くためにはより安い料金設定をして、そのしわ寄せは従業員にいき、間接的に安全性が疎かになって、 大事故も発生している。 新興の航空会社の中には賃金が自社株で支払われていたために、会社が倒産し、従業員の中に多数の自殺者が出た例もあった。

競争社会が悪いとは言わないが、なんでも競争原理を導入するのもどうかと思う。 先例となるアメリカの業界をよくよく研究して、安全性への投資を欠かせてはならない。 安全性の競争を競うのなら、乗る方も料金だけで航空会社を選ぶことはしないだろう。

 何事も行き過ぎた競争は良くないし、なんでも競争だなんて、そんな世の中にはなってほしくない。

*******

 ぼくは今漠然と、飽食美食は悪だ、と思うようになった。 だから直ちに不味いものを食べようと言うのではない。 ぼくらは知らず知らずのうちに手の掛かった、即ちそれだけ多量の自然エネルギーを使った食物を口にするようになった。 ほんの一寸美味しくなると言うだけで、限りある自然のエネルギーや自然そのものを破壊していないだろうか。

自然にとっては、人間の存在そのものが自然環境の破壊要因になっている。 それは人間が生きるためには自然の中から食を得なければならないからだ。 しかし今、自然環境の破壊は我ら人類が現れた何千年前と比べると、比較にならぬほどに人類自ら自然を破壊している。 そうした破壊は、地球上での人類滅亡にも繋がる。

 そんな事を思ったのはテレビの飽食番組を観ていたからだ。

*******

 朝日新聞朝刊に毎月1回連載されていた、梅原猛氏の「反時代的密語」が3月の「何かが語っている」で最終回を迎えた。 ここで言うまでもなく梅原氏は数々の斬新なそして新しい視点にたった説を発表して、 哲学の世界を超えて日本の知的世界に様々な影響を与えた。

法隆寺=聖徳太子鎮魂説、
柿本人麻呂=流罪刑死説、
アイヌ文化=縄文文化継承説
と梅原氏によるこれらの仮説を学説にまでしたことは並の学者には及ばぬ仕事だ。

「反時代的密語」の意味についても述べている。梅原氏は「反時代的」と言う思想を「反時代的考察」(ニーチェ著)から学び、 「密語」と言う言葉を空海から学んだ、と言う。 如何にも梅原氏らしい造語であり、時代の流れに安易に乗らず絶えず真理を見定めようとする姿勢と、 貪欲に知性を追い求める梅原氏の姿勢が伺える。

梅原氏は言う、
「真の学問や芸術はその時代の権威の思想に反するものであり、それが容易に理解されるとは思わない。」 梅原史の青年時代はちょうど戦争中であり、反戦論者の梅原氏はまったくの反時代的人間だった。 また戦後、マルクス主義が全盛した時代にも梅原氏はそれを信じることができず、厳しく批判したため反時代的人間になった。 今また蕩々たる右傾化の中で超時代的人間になろうとしている、と言う。

さらに梅原氏は言う、
「思想家というものは、神仏といわれる何か偉大なるものがひそかに語る言葉を人々に伝える人間であろう」と。 まさに梅原氏は思想家である。

その梅原氏は今80歳を過ぎた年齢である。そして今なお新しい命題に取り組んでいる。 一つは日本語の起源に関する命題であり、一つは人類の哲学についてである。

人類の哲学については以下のように語っている。
「今までの哲学は西洋という一つの文化圏の哲学にすぎず、しかもその哲学は今の世界の状況の中で限界を露呈し始めたと思う。 人類はかつてない滅亡の危機に直面している。 その危機を免れるためには人類の文明を根本的に反省しなければならないであろう。 今までの哲学は、考察を農業時代の思想の考察から始める。しかし農業が始まったのは約1万3千年ほど前であり、 約20万年に及ぶ今の人類の歴史からみれば農業時代は甚だ短い。工業文明は明らかに農業文明を受け継ぐものであり、 人類に甚だ豊かで便利な生活をもたらしたが、あるいは農業文明以後の歴史の道は人類の滅亡への道かもしれない。 人類を末永く生き永らえさせるためには、人類の運命を狩猟採集時代にまでさかのぼって考える哲学が必要である。」

地球温暖化の中で梅原氏の言葉は重い。
そして梅原氏の年齢を思うと頭が下がる。何時までも元気でいてほしいと思う。

<K.K>


[「文学横浜の会」]

禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000-2004 文学横浜