「文学横浜の会」

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2006年12月 3日


「少子化問題」を問題にすることに反対

 「少子化問題」を問題視することに反対だ。 思えば戦前戦中は「生めよ増やせよ」で一世帯4人5人の子供がいるのが当たり前の時代があった。 子供が1人や2人だとまるで非国民のように扱われたそうだ。それは国をあげて戦争をしていたからで、 つまり戦士としての需要があったからだ。

それ以前、つまり文明化以前の封建時代は、特に農村地帯で子供を多く生むのは当たり前だった。 死亡率が高かったこともあるが、働き手としての人手は重要な労働力となる。子供が居ないことは一族の死活問題でもあった。 だから上から押しつけられなくとも子供を多く産むだ。

そして「生めよ増やせよ」の後遺症による戦後のベビーブーム世代が熟年に達した今、日本は超少子化へと向かっている。 そこで政府は「少子化問題」に取り組み始めたのだが、過剰に問題視する事には反対だ。 まさか国を挙げて、戦前戦中の「生めよ増やせよ」の政策に回帰することはないと思うが、 そんなムードに流れることには敏感に反応しなければいけない。もはや国を挙げて上から強制するような時代ではない。

農耕社会では誰に言われなくとも多くの子供が必要で、従って多くの子供を産むのが自然だった。 子供が少なくなったのは、他に多くの原因があるにせよ、 国民の多くが基本的にこれ以上の人口の増加を望んでいないからではないか。 それは日本だけでなく、韓国を始め西欧諸国も同じ少子化問題を抱えていることから、文明国に共通の認識と言える。

文明化された諸国で人類が多く子供を産まなくなったのは、 産業の活性化と人口増加が、自然にどんな影響を与えているか、人類が危惧し始めた兆候ではないかとも思う。 100年200年先、人類の末裔が、現在の我々と同じような自然環境の中で、 平穏な生活を送れるのだろうかと不安視している。 急激な温暖化の進行、台風を始めとする風水害の大型化、それらを目の当たりにして、 50年後、100年後の地球を想像すると迂闊に子孫を残せない、そんな懸念が兆しているのではないか。

 急激な少子化の問題点として、主に以下の二つが挙げられている。
@人口減少、労働従事者の減少による産業の衰退、ひいては国力の衰退、
A年金、医療費の急増による国家財政への負担、

日本の人口は1億2千余り、でも国土の広さから言えば、4千万・5千万でもいい。 世界を見れば人口が2千万、3千万人の国が圧倒的に多い。現在はグローバルの世界で、何も産業の市場は国内に留まらない。 つまり人口が少ないと産業が育たないと言う理屈はない。 人口が多いと、それだけで多くの問題を孕むことになる。それは中国、インド、米国を見れば判る。 産業の発達により、70歳でも機械を操る事で、立派な労働人口にもなる時代だ。

年金や医療費の問題も、現役が老人を支えると言う発想を変える必要がある。 厚生年金や医療費の負担は現在の水準に固定し、不足分は国民全体で負担する制度にすればいい。 つまり現在の消費税を当てればいい。無論、その前に無駄を省く努力は必要だ。

 現在の生活様式では、人間の存在そのものが、自然破壊の一因になっている。 それなら、なにも政策として「子供を増やす」必要はない。 国の政策としては「人口は増えるもの」として、それを前提として政策が採られていた。それは戦後一貫している。 要は、そうした発想を転換することだ。

 急激な少子化に合わせて、早急に制度を改めることだ。
 少子化問題とは、つまり日本の制度問題だ。

 今年もあと一月。
 よいお年を !

<K.K>


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