「文学横浜の会」

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2007年2月4日


「教育はまず親・大人から」

 先日、何人かの大学の先生と話す機会があった。やれやれと言った感じで、 同席していた先生同士で何か問題がなかったかと言い合っていた。 聞くと、大学入試センター試験が終わった直後で、毎回試験監督員にかり出されるらしい。

問題の幾つかを訊くと、まず交通事情で試験時間の調整をしたり、試験中に体調を崩した人の面倒を見たりと、 そう言うのはそういう事もあるだろうと思う。 英語のヒアリング試験では機器が正常に働かなかったりして、その手当ても大変だそうだ。 一人一人にヒアリング機器を配るのだから、正常に作動しない機器が出てくるのも判る。 そのためにかなりの数の予備品を用意しているそうだ。

トラブルの幾つかを訊くと席の配置にクレームを付けるのもあると言う。
「自分は前に人がいると落ち着いて試験が受けられないから、一番前にしてほしい」
「私は明るい場所でなければ駄目だから、窓側にしてほしい」等と当然のように要求する受験生もいるそうだ。 中には明らかに受験生の我が儘であったりするのもあるが、 できるだけそれらに応えてやろうとするから、担当者も大変だと言う。極端に言えば、 なんでも要求を入れてあげないと、試験が終わった後で、親が文句を言いに来て、或いはセンターに苦情を告げて、 再試験を求める親もいると言う。

 一方で小中学校における給食費を支払わない親がかなりいるとの報道を先日耳にした。 親が公務員等をしていて支払い能力があるにも関らず、支払わない親がいると言うのだから、どうして? と思う。
生徒が授業中に騒いでいるのを注意して、叱ると、後でクレームをつける親もいると訊く。 子供が学校に行けなくなったらどう責任を取るのかと。

 それやこれやで、最近、親として、或いは人として欠陥人間が増えているのではないかと思う。 今年は教育基本法が改正になったが、子供の教育は無論大事だが、 親、つまり大人の社会人としての教育も声を大にして言わなければいけない。 問題のある親、或いは人間に、当然の事・常識的な事を求めるのは、社会全体の問題として捉えたい。 教師がそれへの対応に疲れてしまうような社会は、良い国家ではない。 生徒の親への対応で疲れて、精神的な病に罹る先生も多いと言う。

★地球温暖化

 世界の気温が100年後に1.8度〜4度上昇するとの発表がパリでの 「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第1作業部会」会合であった。 今冬の暖冬現象とあいまって、地球暖冬化への実感はますます強い。 地球温暖化は植生にどんな影響を与えるのか、しいては人間の食生活にどんな影響を与えるのか心配だ。

地球温暖化は、日本で言えば台風や竜巻の巨大化、豪雨被害、強風による被害、そういった自然災害とも無関係ではない。 むしろそうした自然災害の凶悪化の影響を真っ先に受ける。 地球温暖化は、美食の追及や、贅沢、便利さ・綺麗・美しい、そうした事とも無関係ではない。 しかし今それを止める事はできない。出来ないなら、如何にエネルギーを使わないでそれらを追求するか、 そうした競争に向かわなければいけない時にきている。

 ぼくは贅沢はしていないのに、贅沢をしている人達と一緒に自然から仕返しをされたくない。
 でも、ぼくが生きているという事は、それだけで自然を苛めている、という事も知っている。

<K.K>


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