「文学横浜の会」

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2007年6月5日


「人としての生命力」

 参議員選挙が来月予定されている。
それで各政党は参議院選挙を念頭に行動しているのはやむを得ない面もあるが、 年金法案のように国民に直接関係する重要法案については、政党の利害を超えて取り組んでほしい。

「なんとか還元水」発言の松岡農水相の自殺による政局の混乱もほぼ収まりつつあるが、 それにしても政府の対応はお粗末極まりない。安倍総理の対応のまずさがここにきて一挙に露呈した感じである。 もともと問題ありと噂されていた松岡氏を農水相にしたのは安倍総理である。 自殺の原因について色々と憶測が飛び交っているが、立花隆氏の 『松岡氏らの自殺を結ぶ「点と線」「緑資源機構」に巨額汚職疑惑』 に説得力がある。

それにしても自ら「命」を絶つという事は余程のことだ。 それで北条民雄「いのちの初夜」を思い出した。ライ病と診断されて人間として生きることを拒絶された人間の物語である。 当時ライ病は不治の病とされ、また伝染病とも言われて一般社会から強制的に隔離された。 社会的偏見から、そうした患者が「我が家」から出た事さえ隠されて、結果、親兄弟との縁を切らざるをえなかった。 妊娠していた女性は強制的に堕胎、患者同士で結婚するために男は断種までさせられた。 そうした絶望の淵に追いやられた主人公が自殺を試みるが、命を縮めることは出来ない。 そして「命」だけが生きる、と自覚する物語である。

つまり人間としてどんな絶望の淵に追い詰められても、命だけは生き永らえる生命力がある。 それなのに今、年間3万を超える自殺者が出るという。自ら命を縮めた理由は様々だろうが、何故これ程、多いのだろう。 人間として生きることを拒絶され、いや生殖機能を持つ生命体として生きることを拒絶された絶望の中でも、 命を永らえた数多くのライ病患者たち。 その他様々な苦難を乗り切った先人達とと比較して、 いともたやすく自らの命を縮めてしまう現代人を思うと、現代人の生命力はひ弱になったとしか思えない。

今の時代は、今までのどんな時代よりも遥かに社会的偏見の種は少なくなり、生活も豊かになった。 生きるということだけを捉えれば、先人達と比べそれ程の苦難は伴わない。 しかし生命力はどうだろう。遥かにひ弱になったのではないだろうか。 ぼくにはそう思えてならない。

 社会保険庁の5,000万人余りの年金記載漏れ問題には唖然とさせられる。 これぞ公務員的体質によるものだろう。民間のことは我々には関係ないとばかりに、運営段階で深く考えもしなかったのだ。 こんなこ事が明るみになったからと言うのではなく、社会保険庁に代わる新しい組織は、 完全に公務員とは切り離した組織とし、運営のトップには必ず民間から選ばれることを望む。 例え一人たりとも、天下り官僚を入れてはいけない。運営資金は官僚や政治家の意のままにさせてはいけない。

この問題について「この法律ができたのは民主党の管さんが厚生大臣の時であり、 責任は管さんにある」と言わんばかりの総理発言にも唖然とさせられた。 国会議員、とりわけ関係部署の大臣だったとなれば責任は全くないとは言えないが、 日本国の総理大臣の発言、しかも政局に絡めての発言は全く「ケツの穴が小さい」としかいいようがない。

時の政府が国政に関して、その責任を他党に転嫁するようなら、国政担当能力がないと言っていい。 即刻政権を返還するか、国会を解散すべきだ。

 所謂、団塊世代が今年から定年を迎える。 政府は年金問題もあって、定年後も年金がフルに貰える年齢まで働かせるように、と通達を出している。 対応は各会社によってまちまちだが、政府は年金が完全に出るまで、つまり65歳ぐらいまで働けと言っている。 それが政府による老齢化対策の一つなのだそうだ。

そうした中で給料は安くなっても、できるだけ働き続けたい、と多くが思っているようだ。 でもそうした団塊世代から話を聞くと、将来の金銭的な不安もあるにはあるが、 会社を辞めると時間を持て余すからと言う声も多い。 60歳といえどもまだまだ元気だということである。

元気は何よりだが、同じ働くといっても、会社勤めの延長をし続けることはないと思う。 政府も会社勤めの延長を奨励するのではなく、それこそ広い観点から定年後の生き方の指針を示すべきだ。 楽しくて楽しくて会社勤めをしている人もいるだろうが、中にはこれを機会に違う体験をしたいと考えている人もいるだろう。 そういう人たちのための援助をするのもいいし、定年を機会に都市から離れたいと考えている人もいるだろう。 人口分散を図るための措置としても一案だ。

高齢者対策が働け働けでは、ちょっと哀しい。

<K.K>


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