「文学横浜の会」
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2007年7月5日
「参議院選挙へ」
安倍政権の強引な国会運営により、重要法案が参議院でそれほど審議されることもなく、強行採決によって可決した。
今月末に予定されている参議院選挙をにらんで会期日程を変更し、その上での強行採決に日本の政治の危うさを感じているのは、
ぼくだけではないだろう。最大野党の民主党が何故ギリギリまでの抵抗をしなかったのだろうか。
選挙を控えて、安倍首相の不信任決議案を提出しただけで、その他の物理的な抵抗は選挙に悪影響と判断したのだろうか。
いずれにしても裏では国会運営についての腹の探りあいをしての結果だろうから、
与野党ともに心は既に参議院選挙に向いていると見ていい。
そんな中で重要法案が強行採決で通されてしまうことに改めて日本の行く末が思いやられる。
強行採決された重要法案の中で、「国家公務員法案」について、ぼくはその効果は余りないと見る。
この法案が出来た背景は、要するに天下りをなくし税金の無駄遣いをなくすことにあったと思う。
所謂、キャリア官僚と呼ばれる一部の国家公務員が、早い官僚で50歳前後で、
民間会社や国の付属機関に天下るのを規制しようという法案である。
天下りとは、言葉を変えて言えば「官僚組織の中で年齢に見合った役職のないキャリア官僚を、
民間会社や特殊法人・財団法人等に押し付け、年齢に見合った賃金を保証する」ことだ。
天下った先では能力とは関係なく、役所を離れた際の役職や、事務官や技官など、
役所特有のランク付けによって天下り先や地位が決まる。
今回強行採決された「国家公務員法案」では、今までは各省庁で行われていた天下り(元エリート官僚の再就職斡旋)を、
新人材バンクの「官民人材交流センター」で行うと言うのだ。
この程度の改革では改革に値しないし、天下りを公然と認めるようなものだ。
その結果として税金の無駄使いもなくならない。
ここで言うキャリア官僚とは、公務員試験のT種に合格して公務員になった官僚をさす。
つまり彼らはたった一度の試験に合格しただけで、通常、課長職までは保証される。
その後、同期から上位の地位に就いた者がでれば、原則的に肩叩きと称して役所を去る。その受け皿としての各天下りなのだ。
中には優秀な者もいるだろうが、多くは並みの人間で、それらは天下り先では例外なく重要な地位に就く。
要するに役所を離れても、同期と見合った賃金が保証されるのだ。
これはどう考えてもおかしなことだ。
天下りに行くからにはただ行く訳ではない。国の仕事が、つまり税金が流れる仕組みになっている。
民間会社へは役所の許認可権限をちらつかせ、
或いは特殊法人や財団法人へは各省庁ごとに縄張りがあって1期から2期の周期で役員を送り込む。
天下り先では2期ぐらい勤めると、30年勤務した職員と同じ程度の退職金がでる。
事務官と技官、退官時の地位によって天下り先や会長、専務、常務等の地位も決められている。
これぞ官僚機構の最たるものだ。
国からの業務発注は入札制になっているとは言うが、
天下り先の特殊法人や財団法人が行う事業は全て各省庁からくると言っていい。
入札といっても殆ど天下りを引き受けた民間会社や特殊法人・財団法人に行く仕組みになっている。
それは入札結果をみれば判るが、殆どが天下りを引き受けた民間会社や特殊法人・財団法人なのだ。
応募業者数が1で、そのまま特殊法人・財団法人が応札するケースも多い。
何故そうなるかと言えば、公募された「応募要綱」を見れば判ることだが、
「提案型」で提案内容を審査して業者を決める形式を取る。
誰が審査をするのかも明示されていないことも多い。つまりその時点で既に応札業者は決まっているのだ。
そうした業務の中には本当に国として必要な業務なのか、第三者からの観点はない。
真の「国家公務員の改革」とは、天下りを無くすことだ。それには公務員試験の改革から手をつけなければいけない。
T種だとかU種だとかの区分は止める。キャリア官僚、つまりエリート官僚がたった一度の公務員試験で決める制度は、
明治維新後、兎に角、国家の形態を早急に作るために優秀な人材を集めようとした頃の名残りだ。
その頃は学卒者も圧倒的に少なかった。
今はそんな時代ではない。価値観も多様化している。
昇給するには役人の中で切磋琢磨し、その中で試験をすればいい。何も一律に昇給させる必要はない。
もし「事務次官」や「専門職」クラスの人材がいなければ民間からも採用すればいい。
そのための法改正なら大いに賛成だ。
*
今月末に参議院選挙が予定されている。久間防衛省大臣の問題発言で、とうとう久間大臣が辞任して、小池新大臣が就任する。
この手の問題にしては素早い対応だ。恐らく参議院選挙への影響を少なくするための措置だとは思うが、
攻める野党も含めて、選挙目当ての対応が多すぎる。久間発言は、核の使用を援護するような問題発言であることは確かだが、
国会議員の扱う問題はそれだけではない。
一つの問題だけを誇張して取り上げるのは、先の郵政選挙もそうだったが、
余りに有権者を馬鹿にした選挙への取り組みと言わなければいけない。
先の総選挙では、まるで郵政法案に賛成か反対かだけの選挙のような錯覚を流布し、投票を迫る。
その結果、与党の大勝となった。
郵政選挙で余りに勝ちすぎた結果が、今、与党の強行採決を招き、閣僚の緊張感の欠如を招いているのではないか。
衆議院の数があるから、与党でなんでもできるとの気持もあるのだろう。
こんな結果になったのも、はやはり国民の投票意識の問題なんだよね。 <K.K>
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