「文学横浜の会」
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2008年2月4日
「食の安全と自給率」
またしても食品に関する安全性が問われる問題が発生した。
今回の問題が起こったから、と言う訳ではないが我々日本人が口にする食品について、
安全性もそうだが、食の自給率について、もっと真剣に考える時にきている。
今、日本で口にする多くの食物は何らかの形で外国からもたらされる食品が多い。
とり分け大衆食品と言われるスーパー等で売られている、手の込んだ食品の多くは中国からの輸入品だ。
人件費の安い中国で加工して、安価な価格で日本の消費者に供給しているのだ。
そして日本の食の自給率は先進国では最低、自給率40%を切っている。
一方で、日本における農業は衰退の一途だ。
農業従事者の高齢化はますます進み、今や後継者のいない、或いは耕作放棄された農地が増えている。
それが地方の衰退に拍車を掛けている。
農業をすれば赤字、政府の政策に従って農業の大規模化を進めれば大赤字になる今の農業では、後継者がいないのはむべもない。
この現状は政府の失政による結果であることは確かだが、
ただ政府を攻めるだけではなく、国民も真剣に考える必要がある。
ぼくが小さい頃はお母さんが餃子を作り、それを手伝うのも楽しかった。
農業をしている父の実家からはお米や季節の果物が送られてきて、送られてきた箱を開けるのをワクワクしながら覗いたものだ。
しかし今、父の実家の跡継ぎは勤め人で、昔のような生活はもうない。
高齢者の祖父さん祖母さんがなんとか自給自足できる生活をほそぼそ維持しているが、
その子供達はもう自分で味噌や醤油を造れない。
叔父さんや叔母さん世代の孫の世代は、車を乗り回して近くのコンビニに買い物で出かける。
自給自足に必要な技術や知恵が孫の世代に伝わって行くのか心許ない状況だ。
安くて容易に食にありつけることは結構だが、果たしてそれでいいのだろうか。
自ら植物を栽培し、自ら食物に加工する事を放棄して、それで本当にいいのだろうか。
いたずらなイデオロギーによる国の政策から解き放たれた現代にあって、
食の自給率を高める事は、国の政策の大きな柱ではないのか。
そのための対価なら、国民は当然支払う必要があるし、きっと納得すると思う。
仮想敵国の想定の基に、国は巨額の軍事費を毎年計上している。
それが全て無駄だとは言わないが、それと匹敵するだけの食についての予算を国は計上しているだろうか。
有事の際に、国土や国民は守ったが、国民は飢餓に苦しめられると言う状況になりはしないだろうか。
仮想敵国からの“食”の輸入で、日本の“食”を依存する、と言う実態になってはいないだろうか。
どんなに金持ちになっても、自給自足できる人の豊かさにはかなわない。
<K.K>
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