「文学横浜の会」
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2009年9月4日
「総選挙が終わって」
総選挙が終わって、少し落ち着いてきた。
予想されていたとは言え、本当なのかとの幾分の疑念を持ちながら、31日の20時を待った。
総選挙の速報第一声「民主党、300議席を越す勢い」との報道で、政権交代が現実のものだと確信した。
民主党の圧勝には「これから何かが変わる」との予感をもたらせてくれる。
5年後、10年後の日本がどうなるかは未知の世界だが、国民の選択だから、暫くじっと見詰めていなければいけない。
戦後から続いた長期自民党政権を変えた意味は、これから多方面に影響を与えるだろう。
小選挙区がもたらす当然の帰結かも知れないが、それにしても10%にも満たない民意が動いただけで結果は大きく動く。
前回の総選挙ではそれが前与党(自公)に動いた。自民党や公明党が大多数の国民に支持された訳でもないのに、
前与党は錯覚して数の力に安穏としていた結果が与野党逆転を招いたと言える。
次はどんな選挙となるのか、そう言う意味で与野党とも、これからは政策の実を上げるよう、互いに切磋琢磨してほしいものだ。
つまらぬスキャンダラスな事だけを国会で取り上げるような事だけはしてほしくない。
負の要素を攻撃しあうだけではなく、国会はあくまでも政策を論議する場であってほしい。
それにしても最近、政治(政治家と言ってもいいが)を扱うテレビのバラエティ番組、
テレビ討論番組とは違うテレビ的討論番組が増えた。それが政治をより庶民に近づけて投票率アップに貢献した。
それはそれでいいのだが(全ての番組を観ている訳ではないが)、報道のあり方を含めて、観る方も考えなければいけない。
メディアにおけるテレビの比重が低くなったとは言え、まだまだテレビの一般大衆に与える影響は大きい。
つまりある意図をもって番組を作れば、お笑いタレントの巧みなトークに隠されて、企みに民意が誘導されてしまう畏れもある。
メディアが支持政党を明らかにしてはいけない、とは思わないが、
それならそれで「公明新聞」や「赤旗」のように「自民党新聞」とでもした方が判りやすい。
公明正大、中立を保つようなスタンスを取りながら、特定政党の宣伝報道に偏ってはならない。
たんなる一記者の勇み足だ、とすましては居られない問題だ。
総選挙が終わって、すなくとも向こう3年間は衆議院の選挙はないだろう。次の選挙は来年の参議院選挙だが、
しばらく選挙はない。
政権与党が変わったとしても、日本が抱える大きな問題の解決に取り組むのはこれからだ。
国の抱える大きな借金、年金に代表される将来に対する不安感、等。これらは戦後50年に渡る自民党政治の結果だ。
そして自民党をのさばらせてきた野党の責任も大きいが、選んできた国民の責任でもある。
自民党は今まさに小泉元首相が叫んだ「自民党をぶち壊す」が現実のものとなった。
新しい総裁をどう選ぶかで今はもめているようだが、今度は「自民党を再生させる」と叫んで総裁選に打って出る、
そんな候補者が出てきてほしいものだ。
民主党を中心とする勢力にひとまず政権を預けた訳だが、国民は暫くは見守っているしかない。
もし駄目ならまた変えればいい。それが民主主義だ。
ここは2・3年のレンジで見詰める忍耐力も必要となる。
<K.K>
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