「文学横浜の会」
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2010年6月5日
「久し振りの非政治一家からの首相、誕生!」
鳩山首相辞任、管政権へ!
様々な問題を抱え、国民の大きな期待を寄せられてのスタートから僅か8ヶ月で鳩山政権は終わった事になる。
子供手当、高校授業料無償化、事業仕分けと自民党政権では考えられなかった新しい事も行われ、
民主党政権としてのそれなりの成果は見られた。
だが、自身の政治資金問題や普天間問題で躓いたのが早期辞任に追い込まれたのは間違いない。
民主党政権に移ってからのゴタゴタは日本では初めての選挙による政権移動によってだろう。
アメリカやイギリスでは選挙による政権交代は普通だが、日本では戦後初めてだった。
そう言う意味では鳩山政権スタート時のゴタゴタは或る意味仕方が無かったが、
辞任に追い込まれた二つの問題は鳩山首相に起因した事だ。参議院選挙を控えて、辞任もやむを得なかったのだろう。
新しい首相には前政権で副総理・財務相を務めた菅総理大臣が誕生した。
自民党政権の小泉、安倍、福田、麻生、そして民主党の鳩山と、このところ日本の首相は代々の政治家一族から出ている。
それがどうにも釈然としなかった。政治家などと言う‘職業’が存在すること事態、どうも釈然としない。
選挙に当選するには一介の庶民では難しいのは確かだとしても、
一国の首相がどうしてそういう顔ぶれになるのか不可解だったのだ。
代々政治家一家なんておかしくはないか?
地元では私設私書団を抱え、地盤看板を引き継ぎ、本人はめったに地元に戻らない。
議員は御神輿だからただ乗っているだけでよく、御神輿がなくなれば私書団にとっては自分の仕事を失う事になる。
だから選挙となれば私書団は議員本人以上に必死だ。
本人にはそれなりの苦労はあるだろうが、それは限られた範囲内での苦労であり、恵まれた環境の中にいる。
そうした人物がどうして実社会の難問に真摯に対処し、タフな交渉を乗り切る事ができるだろうか。
最近の首相の顔ぶれをみると残念ながらその思いは強い。
そう言う意味からも菅新首相には大いに期待したい。
日本の国民は貴族とか血統とか、そう言った権威に弱いのではないかと思う。
つまり個人の能力よりそうした血筋に頼り、真の能力ある人物を撰ぶ努力を放棄していると思うのだ。
確か司馬遼太郎のエッセーだったと思う。「日本の軍隊は幹部、つまり作戦を立てる参謀の能力は劣るが、
兵士の能力は高かった」と。そして参謀の能力が劣っているのは士官学校で成績の良かった者を幹部に抜擢し、
つまりトップを撰ぶ作業を放棄したからに他ならない、と言うような事を書いていた。
軍隊の幹部を政治家(或いは政治リーダー)に置き換え、兵隊を国民と置き換えれば現在の日本の姿になる。
リーダーを撰ぶのに血筋や学校成績や財力で撰ぶのなら、確かに判りやすいし楽だ。
学校の成績が良いからといって、実社会では役立たずと言った例を間近に多くみている。
旧軍隊内における士官学校での成績至上主義は、もうそれだけで敗戦の一因になっていたのだ。
リーダーを撰ぶにはそれなりの努力と知恵と認識が必要となる。
時間も掛かるし、時には軋轢も生じるだろう。まあまあとは行かないケースも多々ある。
そうした労力が絶対に必要なのに、そうした労力を避けて回避する傾向が国民意識の中にあるのでは、と思ってしまう。
仲間内のリーダーを撰ぶのなら「まあまあ」でいいのかも知れないが、一国のトップなり軍隊の幹部となると、
その影響は計り知れない。
リーダーによって国の盛衰を委ねなければいけないし、国民生活にも直結する。
軍隊のリーダーともなれば配下の兵隊の生死を直接握る事になる。
そうした事をよく考えてリーダーを撰ばなければならないのに、
国会議員、或いは国会議員を選ぶ国民はそうした事を真剣に考えているだろうか。
単に仲間内の連帯意識や、あの人に世話になったからといった卑小な事で選択していないだろうか。
そうした事のつけは必ず国民に及ぶ。
戦後の繁栄は、戦前戦中の実力者達を一掃してそれまでの思想や意識を一変し、
敗戦後の日本を新しい人達によって一から出直した結果だと自覚すべきだ。
そしてその成功体験、繁栄に引きずられて自己変革をなされなかったのが今の日本ではないか。
そうした意味からも自民党から民主党による政権後退に大いに期待した。
そして8ヶ月後の新首相誕生となったのだが、国民はまだ民主党を完全に見限った訳ではない。
ただ、小沢氏に代表される旧自民党的な体質を持った指導者も存在するのは確かだ。
恐らくそうしたグループとの軋轢はまだまだ残ると予想されるが、国民としてはじっくり新政権を見守る事も必要だ。
*
先に官房長官を経験した元自民党代議士の野中氏の
「内閣官房費をかなり多くの報道関係者や評論家に配った。
受け取りを断ったのは田原氏だけだった」と言う発言には驚かされた。
それに対してマスコミからはなんの反応もない事にも驚く。
野中発言が間違いであれば「俺も突き返した」と言う評論家が一人ぐらいいてもいいのに誰もいないのだ。
と言う事は自民党政権下においてテレビやラジオで発言していた評論家や、
報道機関の記者の多くが自民党からお金を貰っていたことになる。
そうした評論家達は今もいて偉そうに発言している事になる。
そうした人物は公平な観点から考え、国を思い、国民を思った発言・報道が出来るだろうか。
なんともおかしな沈黙だ。
<K.K>
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