「文学横浜の会」
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2011年1月5日
「日本と民主主義」
日本は今大きな分岐点にある。大雑把に言ってこれまで通り国内の消費者・生産者だけを対象にした政策か、
それとも日本という垣根を取り払った政策によって国力を高めようとするのかの二者択一だ。
民主党政権になってほぼ1年半。昨年参議院選挙によって衆参ねじれ国会となった。それによって国政は益々混沌としている。
国民が衆参ねじれ国会を選択したことは与野党の議員、いや与野党の政党がこの日本をどうしようとしているのか、
と日本国民が各政党に突き付けた問い掛けのように思う。
今までのように西欧諸国に追いつけ追い越せを念頭にした時代は、与野党の政策論議は左程重要ではなかったが、
これからはそうはいかない。
つまり追いつけ追い越せの時代の政策はだいたい決まっていたから政策論議は左程重要ではなかった、
と言うか向かう方向は解っていたのだ。しかしこれからはそうはいかない。
今の日本は団塊世代が社会の一線からだんだん退いて、年金世代だ急激に増えている。
同時に少子化現象は固定し、左程の人口増は望めそうもない。
これは長年言われてきたことだが、そうした国内問題を国会内で与野党で真剣に議論している映像は残念ながら観たことはない。
テレビ移る国会中継は揚げ足取りや中傷や言葉尻を捕えたどうでもいい内容だ。
民主主義が一番好いとは断言しないが、民主主義とは国会で政策の議論をする場ではないかと、多くの国民は思っている筈だ。
長らく与党だった自民党が野党になったからと言って、何も野党だった頃の民主党を真似ることはない。
与党を経験したことのない民主党の野党と、自民党の野党は自ずと違う筈で、
国民が民主党に政権を任せようと選択したのは、自民党に野党を経験させる為でもあったのだと思う。
政権交代は日本の民主主義を一歩前進させる、と解釈する。
一党だけが政権を担当しているのは本来の民主主義ではない。
そういう意味でも、今の自民党は野党としても失格だ。
兎に角、ただ政権を倒すだけが目的の国会運営では、日本は益々駄目になってしまう。
日本を大混乱に陥らせないために、もうそんなに時間はない。
これ以上の国債の発行は、将来の大インフレ、円の大暴落、そうした危惧が現実になってしなう。
戦争もしないのに戦後の大混乱が再び訪れる事態だけは絶対に避けてほしい。
今日本は円高に苦労している。円高の要因は必ずしも日本がいいから円が買われているのではなく、
有り余るドルの供給や、ユーロの不安等様々な外的な要因で円が買われているに過ぎない。
もしそれが逆に、つまり日本の財政破綻が明らかになって円が見放されるようになれば円売りに傾く。
極端な円安になれば輸入に頼っている原油、その他原材料資源は高騰し、物価は高騰するだろう。
そうなれば戦後の大混乱に匹敵する事態にならないとも限らない。
今日本はこれから日本をどう運営するのか、その方向性を定めなければいけない時期だと思う。
それもそんなにのんびりとしてはいられない。毎年約一兆円もの年金等の社会予算が増加している。
こんな事は何年も前から判っていた事で、今更とも思うが、対応できていないのが今の日本なのだ。
実収入が37兆円なのに借金の返済を含めて約90兆円もの支出をしている。それが今の日本なのだ。
とここまで書いて、以前にも同じような事を書いたなと思い、日本というのは政治は進歩しない国民性なのかなと思う。
民主主義と言う制度も国民が勝ち取った制度ではないから、恐らく機能していないのだろう。
明治維新後の明治政府が何故うまくいったのかのかを考えると、人の配置が良かったのだと考える。
大言壮語して選ばれた政治家が国家を動かしていたのではなく、維新の功労者(多くは薩摩人・長州人)が、
大きな目で人材を登用したからだ。必ずしも国民が選んだ訳ではない。
それもこれも江戸時代の教育が日本の隅々まで整っていたからだろう。
と言う事は、日本の民主主義はまだまだ未熟、あるいは根付いていないと言う事か。 <K.K>
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