「文学横浜の会」
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2011年5月5日
「大震災と日本の民意」
今日本は、東北地方を襲った大震災から復興への歩みと原発事故の少しでも早い収束を願う気持で溢れている。
各局のテレビ放映を全て観ている訳ではないが、総じて各局で報道される現政権への批判は厳しい。
批判の内容を大きく分けると、
現政権が今回の大震災に適確に対応したとはとても言えないが、
果たして報道機関やコメンテータとして登場している方たちが口を揃えて批判するほど、そんなに拙かったのか。
政権とは常に批判されなければいけない存在だが、
報道番組がみんな同じように現政権を罵倒するのを目にすると反論したくなる。
無論、民主党政権は政権を預かった経験がないから、政権を持つ心構えとか覚悟とか重さとか、
個人としてもチームとしても未経験の故に未熟で、覚悟もあったとは到底思えない。
しかしそれは当初から判っていた事で、何も今更言う事ではない。
自民党による一党長期政権が続き、国会がとても政策審議の場ではなくなっていた状況を打破するために、
政権移動が可能な政治体制を臨んだ結果が前回の総選挙だったのではなかったか。
テレビ中継される国会での予算委員会など、まるで人格の中傷、言葉尻の揚げ足取り、過去の言論の穿り合いの委員会のように思えた。
それから政権交代したのに、与党の責任や苦しみを知っている筈の自民党が野党になった現在、国会は何も変わらなかった。
民主党が野党だった時を真似て昔のままの国会を再現している。
そうしたし国会の在り方を報道機関はなんの批判もしない。
政権交代はそうした国会の在り方を変えてほしいとの国民の期待が込められていたのではないか。
その結果としての今回の大災害である。
今回の大震災に限らず、報道番組は何故各局同じような内容になるのか予てから疑問だった。
登場するコメンテータも同じような顔触れだ。話す内容もだいたい同じで、反論する人や違った見方をする人は出ていない。
恐らく、番組の意図に沿った編集になり、時間内に収めるために反論や違う意見の識者は参加させないのだろ、
が何か怖い感じもする。
日本の直近の総選挙を振り返ってみると、郵政選挙と言われた05年の自民党圧勝、政権交代を前面にした09年の民主党圧勝、
と前2回の総選挙でどちらかの政党が圧勝している。つまりどちらかの政党が他を圧倒しているのはどうしてなのか。
無論、小選挙区と言う選挙制度の影響もあるし、選挙民の意識の問題もある。
つまるところ、選挙民が冷静に問題の本質を見抜いて、国会議員の言動を判断して選んでいるかに尽きるが、
これは国の民意の高さを示す指標ともなる。つまりこうした国会議員を選んだ国民の民意の程度が、国会議員の質なのだ。
と同時に、日本の報道番組を作る人たちの民意の高さが番組の内容になる。
各局同じような内容で、同じような報道なら、少なからず選挙民に与える影響は大きい。過去の選挙結果とも無関係だとは言えない。
そうした影響は侮りがたいと、政党の方でも報道対策にのり出しているようだ。
インターネットの普及でテレビ報道の存在価値はだんだん低くなっているが、まだまだその影響は侮りがたい。
報道番組を作る方も心して番組を作ってほしいし、観る方もそれらを考慮して観るべきた。
*
内閣官房参与の小佐古敏荘(こさこ・としそう)が参与を辞任する意向を表明した。
小学校などの校庭利用で文部科学省が採用した放射線の年間被曝量20ミリシーベルトという屋外活動制限基準を強く批判しての辞任だ。
これも何とも合点がいかない。
そもそもこの問題は研究者によって見解は様々で、ぼくの読んだ範囲では年間被爆量が100ミリシーベルト以上だと
医学的に有害だと証明されていて、100ミリ以下なら安全とは言わないが問題ないとの意見も多い。
無論、小佐古氏のよな意見の方もいるが、自分の考えと違うから辞任すると言うのはなんとも納得できない。
元より政府は色々な方から意見を聴いて、それで判断するのであり、自分の意見が通らなかったから辞めるというのは短絡的だ。
そんなことで政府を批判したら、政府は同じような意見の者達だけからしか意見を聞かなくなる。
それではやらせの委員会と同じだ。 <K.K>
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