「文学横浜の会」
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2011年6月6日
「エネルギー政策の転換を」
原発事故によって、原子力発電はこの先停止させるのか、より安全性を高めて存続させるか、或いは徐々に廃止の方向へ持っていくのか、
の議論が盛んになった。ドイツでは22年までに徐々に原発廃止の方向に政策転換した。
日本では東南海地震の範囲内にある浜岡原子力発電所を停止したに留まっている。
福島原発の収束に忙殺されて、政策転換どころではないのが実情だろう。
我々としては一刻も早い事故の収束を願うのみだが、目に見えない放射能と日々戦っている作業員達の事を思えば、
過度に収束への圧力をかけるのはかえって収束を遅らせると自制すべきだ。
与野党も工程表の遅れを必要以上に追及し圧力をかけることは慎むべきだろう。
東京電力の上層部の混乱や隠蔽体質、原発の監視機構である政府官僚機構が組織として機能していなかったとしても、
現場で働いている作業員を悪戯に危険に晒してはいけない。
残念ながら、日本はそうした作業員が日本を支えている。
今回の原発事故によってエネルギー消費についての意識変化、つまり節電への機運が高まったのは喜ばしい。
そして再生可能な自然エネルギーへの関心が高まったことも事故の齎した副産物だ。
そもそも放射能という現在の科学では自由にコントロール出来ない物質を扱っているのに、
安全神話だけを国民に植え付けた政策そのものが間違っていた。
漠然と「そうかな」と内心では思いつつ、多くの国民は原発によって作られた電力の消費になんの疑問も持たなかった。
反原子力の運動も安全神話の前になんの力も発揮できなかった。
だが原発事故はその被害も大きいが、多くの事を国民の前に突き付けた。
今回の事故で明らかになったのは、
何度でも言うが、日本では広島・長崎での原爆被害によって、原子力への抵抗感は強く、原子力発電所に対する反対運動も強かった。
そうした中で過去の政権は原子力発電所を作る為には安全性を強調する必要があり、
国民に「安全神話」を植え付ける事が主な政策になってしまったことだ。
そして「安全神話」そのものに、電力会社も政府もどっぷりつかって、危険性を忘れてしまった。
その結果、先の三つの事項についてもあってもおざなりで、全く機能していなかった。
まあ、起きてしまった事はもう後戻りできないので、これを機会にエネルギー政策を考えて、大胆に変えるきっかけにしたい。
そのためには電力会社の在り方、つまり地域独占の体制についての議論も必要だ。
私は再生可能な自然エネルギーを推進する立場だが、蓄電技術の向上も合わせて、
今すぐにとはいかないまでも国の大胆な政策転換を望みたい。少なくともドイツのように何年までと言った方針が絶対に欠かせない。
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ここにきて国のトップが変るようだ。時期を限っての自民・民主大連合或いは政策連合の動きも見える。
無論、政治の世界は予測不能で、首相をかえたからと言って全て解決すると言う訳ではないが、こうした動きは悪くない。
出来れば大参事への対応だけではなく、この国が今抱えている諸問題、つまり莫大な借金体質、競争力を失った産業の再生、
急速に進む超高齢化対策、そして少子化問題と言った問題に対しても話し合ってほしい。
どの政党が主導権をとってもこれらの対策についてはそんな違いはないはずだ。
残念ながら昨今の状況では、政策そっちのけに、言葉尻を捉えた結果的に足を引っ張り合う政治状況となる。
問題解決の為に消費税の導入が必要なら、国民はバカではないから素直に受け入れよう。
無論、その為にはあらゆる無駄は排除しなければいけない。
<K.K>
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