「文学横浜の会」

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2012年2月7日


「民主主義とは?」

 昨今の「大阪維新の会」の勢いは目覚ましい。何時ぞやの「郵政改革」の熱気を彷彿させる。 確かあの時は郵政改革さへ断行すれば日本は良くなる。 日本の全ての弊害の原因は郵政制度にある、とでも言いたげな熱気だった。

政治はそれだけではないのだが、選挙では、とかくそうした単純化された言葉に集約される傾向がある。 先の選挙での「コンクリートとから人へ」のキャッチフレーズもそうだった。 単純化すれば多くの人に解ったような気にさせるが、果たして何処まで解っているのかは疑問だ。

国会での討論等を聞いていると、気の毒だなと思う事がある。 とりわけ大臣になると、あたかもその分野の専門家であるかのように振る舞わなければならないのは、さぞ苦痛だろう。 政治家は政治をする人だけど、その分野の勉強をしたにせよ、専門家ではない。 その分野でもっと詳しい専門家は沢山いて、そうした人材をスタッフに抱えているのが政治家だ。 まぁ、専門家のように振る舞える資質を持っているのも優秀な政治家の条件なのかも知れないが。

 日本の政治は議員内閣制で、その議員を選ぶのが選挙だ。 選ばれた議員が国民に代わって色々な法案を作ったり、予算の配分を決めるシステムになっている。

で、問題なのは何もかも議員に任せるというシステムだ。 たった1回の選挙、たった1票で選んだ議員に全てを委ねるのはどうにも腑に落ちないのだ。 色々な問題があるのに、一人が一人だけを選んで何もかも一任なんて、今の時代にマッチしたシステムだろうか。

例えば大阪維新の会が掲げる「大都市制度の改革や二重行政の見直し」には賛成だけど、地方行政にしろ国政にしろそれだけではない。 国政を例にとると外交や教育や防衛や社会保障や、政策は多岐に亘る。 国政選挙で選ぶ候補者のどれもこれも全くその通り、だなんて言う候補者なんてまれだ。 候補者の方でも全ての政策にはっきりした考えを持っている者はそんなに多くない。 ある政策には余り関心がなかったり、受けのいい政策ばかりを強調して、後は有耶無耶な候補者もいる。 それなのに一人だけを択ばなければいけないだなんておかしくはないか?

こうしたシステムが提唱されたのは凡そ百年も前だろう。 当時はインターネッもない今よりもっと単純な世の中だったに違いない、 そんな前に提唱されたシステムが、今の時代に民意を反映できる制度なのか、真剣に考える時期に来ていると思う。

今、日本では支持政党無しが第1勢力だと言う。つまり既存政党は支持政党なしの民意をどう取り込むかに汲々とすることになる。 その為には選挙の時には受けのいい政策だけを大声で叫ぶだけの選挙となり、 そして国会ではおよそ政策とは関係のない言葉尻だけの言い合いとなり、受け狙いに汲々となる。

究極には政策ごとに国民から直接賛否を取るのしかないが、全ての国民に等しい1票を与えていいものだろうかとも思う。 つまり関心のない政策に無理に投票せよと強要するのも本当の民主主義なのか疑問だし、無知な者に無理に投票を促す必要はあるのだろうか。

何時の時代でも、多数が常に正しいと言う事はないのだ。

<K.K>


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