「文学横浜の会」
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2012年5月3日
「人類が残した物」
原発を再稼働するかしないか国論を二分する状況だ。
再稼働しなければこの夏の電力供給が不足するとの立場が電力業界、産業界、政府の立場だ。
それに対して更に節電し、隠れた電力つまり民間の自家発電を市場に供給し、
電力会社間の電力流通をし合えば乗り切れると言うのが稼働反対側の論理だ。
原発再稼働を反対する論拠の大本は事故が生じた場合、その被害の大きさにある事は言うまでもない。
取分け地震多発国の日本では、東北大震災の記憶が鮮明にあり、原子力への拒否反応が増大した。
それにしても原子力関係科学者の大震災を境にした反応の変化はなんとした事か。
ぼくの知る範囲では原子力は危険だ、原発は危険だと積極的に運動していた科学者は一人しか知らない。
既に亡くなってしまった高木仁三郎氏だ。
東北大震災で氏が提起した懸念がまさに的中した訳だが、存命中の氏は必ずしも恵まれた研究環境にはいなかった。
反原発の立場を明確にした事で体制側からは疎まれ、学会からは阻害された存在だった。
それが大震災後、原発に懸念を述べる科学者が多くなった事にぼくは驚いている。
そんなに危なくて危険な原発ならどうして言わなかったんだよ、と突っ込みたくなる。
原発は安全です、絶対に事故なんて起きないし起きても放射能は漏らさないし漏れない、とどうして宣伝したんだ!
そうした宣伝に科学者として「そうじゃない!」とどうして大きな声で言わなかったのだ!
原発問題だけではないがテレビに登場するコメンテータ達は、自分の意見を持っているのかと疑いたくなるケースが多々ある。
どれも言う事は同じか似た意見が多い。
時間的な制約があるから反対意見は入れないのかも知れないが、大勢に迎合しているよ思えて仕方がない。
ぼくは元々原発には懐疑的だが、反原発ばかりのマスコミ報道を目にすると反発したくなる。
マスコミに登場する科学者以外にもコツコツと地道に研究に専念している科学者も多かろう。
むしろそうした科学者が多数なのだが、そうした人達のやる気をそぐ事にはなりはしまいか。
核エネルギーが危険なことは改めて確認された訳だから、少しでも人類に役立つ方向に、或いはそれこそ絶対に安全な、
いや100%安全な物などないから、より安全な原発開発に取り組むきっかけにしてほしいものだ。
それに国費をつぎ込むのなら反対はあるまい。
日本の原発が再稼働するかどうかは全く判らない状況だが、
少なくとも、今の技術では再稼働に踏み切っても、何年までと期限をつけてほしい。
その時点で安全技術の目途が立たないなら原発は廃止した方がいい。
安全技術が確立してから再稼働すればいい。
廃炉を決めたとして、現在の原発を廃炉にするのも莫大な費用がかかる。
一時的な費用ではなく、何十年も、或いはそれ以上、使用済み核燃料を含めて核物質が悪さをしないように隔離し管理しなければいけない。
人類はなんとも厄介な物を生みだしたものだ。
<K.K>
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