「文学横浜の会」
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2012年6月5日
「少子化が問題なのではない」
日本は今、超円高で輸出産業を中心に右往左往している。
企業によっては1円の円高によって、何百億円もの利益がなくなるのだと言う。
円高は日本を評価しての円高ならいいのだが、消去法によって円が買われての事だから、そんなに喜ばしい事ではない。
輸出企業によっては国内で生産して輸出すると赤字を大きくするだけだ。このままの円高が定着するなら日本での生産を諦め、
工場を海外に移す動きも加速されるだろう。
そうなると日本から工場が無くなり、労働者の職場がなくなる。
派遣労働者の低賃金には問題は多いが、そうした派遣の仕事もなくなってしまうようだと日本政府としても看過できない問題だ。
幾ら日本銀行が為替介入して、円安に導こうとしても世界を相手にしては、そう何時までも円安に保つ事は難しい。
こうなったら輸出産業は輸出品に限っては輸出先で生産すると覚悟を決めてはどうだろう。
幸い日本は輸出をしなければ産業が成り立たない、と言うような国ではない。
人口が減ってきているとは言え、まだ一億を超す人口がある。国内で消費する分の生産は国内で、輸出品は外国で生産して、
それで利益が出るようなシステムを確立する事だ。
それでは海外から安い製品が入ってきて、国内で生産しても売れない、との心配はある。
しかしそれは知恵を出し、同じ製品なら同じ価格にする努力が必要になる。
そうした技術ノウハウは海外の工場にも転用可能だ。
所詮、今後も益々グローバル化は進み、世界的に見れば国家間の賃金格差は今より無くなる、と言う流れは止まらない。
海外で売る製品については海外の労働者によって生産されるのが本来の在り方だ。
それによって海外の賃金労働者も増えて豊かになり、購買層が増えると言う訳だ。
日本で生産して、それを外国で売って利益を上げる、そうしたビジネスモデルはもう終わった、と考えた方がいい。
少子高齢化がこれからの日本の大問題だとする論調をまま聞くが、確かに問題ではあるが、
本当はそうした人口構成に対応した制度にしてこなかった事が問題なのだ。
日本の国土で一億を超す人口は多すぎると思っているが、老齢人口がおおくなるとはいえ、まだ一億を超している。
日本における老齢者とは60才以上を指すのだろうが、今の60才は昔の60才ではない。
平均寿命60年の時代に作られた制度が、人生80年と言われる今もそのままになっている。
問題は年金支給開始年齢を上げる事であり、その為に定年年齢を引き上げる事であり、その為には賃金体系を見直すことだ。
例えば年齢給は45才までとして、それ以降は同じ賃金。学齢の子供には企業に代わって、子供手当ではないが国で手厚く支給する。
今のように企業によってまちまちの扶養手当では不公平だ。それが無くなれば企業も雇用者を増やせる。
また45才を退職年齢として自由に企業を選べるルールを作る。
つまり一生同じ企業に留まっても、特に有利になるようなシステムを変える事も必要だろう。
例えば現在のような退職金制度では長い期間働けばそれだけ退職金が増える。
しかしそれでは企業の負担は増えるし労働者の移動はままならない。産業構造の急激な変化にも対応できない。
45才以上を第二の労働世代と考えれば、子育ての終わった女性も大いに労働現場に復帰できる。
また今話題の生活保護を含めて社会保障についても政党の枠を離れて議論し、制度を再設計してほしい。
支給される国民年金が生活保護の金額より少ないのは、大きな矛盾だ。その上、生活保護対象者は税金なし、医療費ただなのだ。
幾ら生活保護者には制約があるとは言え、矛盾は大きい。
つまり今日本が問題にすべきは少子化ではない。 <K.K>
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