「文学横浜の会」
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2012年8月7日
「ロンドン・オリンピックの最中に」
ロンドン・オリンピックでの日本人選手の活躍に画面に見入っている。
国の宣伝媒体として、或いは国威発揚の場としてして利用される事には違和感を覚えるが、
四年に一度のスポーツの祭典、アスリートの表現の場としてオリンピックは最高の舞台だろう。
まだまだ熱戦は続くが、どんなスターが現れるか楽しみだ。
オリンピックに熱中している中で、福島原発事故当時のテレビ会議の記録ビデオを公開するかどうかでもめている。
東電側は公開する積もりはないらしいが、国や国民の声に押されて一部だけを、それも音声を消して公開した。
あれ、待てよ!
そもそも我が国は責任を曖昧にしてきた歴史がある。先の大戦を引き起こしながら、その責任を戦後明確にしてこなかった。
戦勝国による戦争法廷はあったが、それは戦勝国による戦犯法廷で、多大な犠牲をしいた日本国民による責任追及はしていない。
民間(各新聞社や研究者)による大戦に至った経緯や責任の検証はあるが、国としての検証はなされていない。
責任の追及は責任者を吊し上げる事ではない。
二度とそのような事が起こらない起こさせない為のものだ。
責任を曖昧にしておくのは何も国だけではない。日本の民間会社でも欧米の会社と比べて責任の取り方は曖昧だ。
東電もその例に漏れない。おまけに国策会社に近いから過去の政権との繋がりが強い。
電力料金算出資料も根拠も、そうした情報の公開はされていなかった。
原発事故によってそうした体質に対する国民の不満は強く、ここにきて少しずつ公開しているが、全面公開には程遠い。
そうした体質が今回の事故の遠因だった可能性は大いにある。
戦後初めて本格的に政権交代した民主党政権で今回の大事故が生じた事は、ある意味、過去の政権が果たした功罪を検証するいい機会だ。
だけど政党の利害を絡ませてはならない。
二度とこのような事故を起こさせない、起こさないための検証なのだ。
国家権力による許認可と密接に関わる他の業界でも、似たような問題を抱えていないだろうか。
*
オリンピックに熱中している間に政界はきな臭くなってきた。
オリンピックが終わったら総選挙、そんな事態にはならないだろうが、そうなってもおかしくないような動きがみえる。
消費税問題も三党合意で終わったかに見えたが、どうなるんだろう。
野党はなんでも解散、与党は問題の先送り、それが日本の政治の姿だった。 <K.K>
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