「文学横浜の会」
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2012年9月4日
「領土問題に思う」
領土問題が賑々しくマスコミを賑わしている。
韓国との竹島、中国との尖閣列島、ロシアとの北方四島を巡る領土問題だが、
それぞれ背景も支配の実態も異なるが、厄介な問題な事は確かだ。
竹島や尖閣列島は「あんな人も住めない島をそんなに目くじら立てて問題にすることは無い」と思う方もおられるだろうが、
これが国家間の帰属となるとそうもいかなくなるのが領土問題だ。
例え人も住めない岩場でも、その所有国にはその岩場からの海洋権益が絡んでくる。
近くで地下資源が発見されれば「たかが岩場だ」とは言えなくなる。
そうした地下資源がなくとも、国土を巡る対立は双方のナショナリズムを刺激する。
だからと言って前時代のように力による解決は絶対にあってはならない。
前時代の力による対立の結果が今日に及び、ナショナリズムを刺激している面もあるが、
ナショナリズムが大きくなると論拠も正論もなく、ただの感情論になり易い。
歴史をみれば人間は対立・戦争を繰り返してきた。個人の対立から集団同士の対立になり、部落の対立から国の対立になった。
対立点は水の利用権、耕地面積、牧草地の確保等。
それに人種問題や宗教が絡んで、対立の構図は複雑で、中東では二千年来の対立が今も続いている。
人を幸せに導く為の宗教が対立の一要素となっているのもなんとも皮肉だ。
歴史書を紐解けば必ず「虐殺」「皆殺し」という言葉がしばしば出て来る。
投石器や刀剣が主な武器だった時代の戦争でも、そうした戦いの果てに消えてしまった民族もある。
二千年の昔、例えばユダヤ王国を攻めたローマ帝国はユダヤ国を徹底的に叩いて根絶やしにた。
その結果ユダヤ教徒は流浪の民になり、二千年後にようやく今のイスラエルに建国した。
当時の武器は投石器や槍や刀の時代だった。
しかし今は核兵器の時代で、そのような戦いをすれば双方が絶滅するのは間違いない。
例えば、ユダヤ王国とローマ帝国が戦った時代に核兵器があったと想像すれば、
ユダヤ教徒も恐らく流浪の民になる前に根絶やしされていたに違いない。
無論、ローマ帝国も立ち上がれない程の痛手を負ったに相違いない。
考えれば考えるほど難しい時代だと思う。
よく言われる事で「外交は武力(軍隊)の背景がなくては勝てない」とは真実かもしれないが、
核の時代にもそんなことがあっていいのか、と不安になる。
まあ、日本は他国と違って国内では左程ヒートアップしていないのが救いで、強みかも知れない。
相手国の実情を顧みず、ただ過激な行動に走る事だけは避けたい。
<K.K>
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