「文学横浜の会」

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2012年10月5日


「再び領土問題」

 いやはや、尖閣諸島をめぐる日本と中国の領土問題で、中国においてただならぬ様相がテレビの画面で見聞された。

国同士の騒動となると、品格とか理性とか論理とか、そうした言葉はなんの意味も持たない。 中国と言う特殊な国では、つまり資本主義とは異なる体制と言う事だが、ナショナリズムが絡んでくると、問題はどうもそれだけではない。

中国の教科書では反日教育(無論、日本人の目から見てだが)が何年も続いており、中国の若者の中には 「日本は軍国主義の国だ」と応える者が40%もいると言う。 インターネットの時代で情報は何処からでも取れる時代なのにこの数字だから、如何に中国の教育が若者に影響を与えているかが判る。

「釣魚」は中国の固有の領土だと一方的に教育されれば、若者はそう理解してしまう。 考えてみれば国の領域などという概念は、昔は(ここで言う昔とは百年、二百年程前だが)、それ程はっきりしたものではなかった。 測量技術が未熟な時代では無理もない。 陸地から見えない海洋の無人島ともなれば、場所を特定することさえ、ましてや人が行き着く事さえ大変な事だった。 それを「ずっと昔から我が国の固有の領土だ」などと言うのはまやかし以外の何物でもない。

中国では政府に反対する声は挙げられないから、反日デモなら認められると言った事もあって、何かがあれば反日デモは荒れる。 何をやっても「愛国無罪」とは、我々には到底理解できないが、中国では「愛国」を旗印にすれば何でも認められると言う事か。

本来、中国とは(そもそも、中国と言う国名が出てきたのはたかだか百年にも満たないのだが) 「万里の長城」に囲まれた国土だったのではないか。 それが毛沢東の共産政権が周りの少数民族、つまりモンゴル族、チベット族、ウイグル族等の地を侵略して、現在の中国を形作った。 間違えれば今の沖縄(琉球)も組み入れられた危険性はあった。

共産政権に組み入れられた少数民族の現状は、哀れ、の一語に尽きる。 圧倒的な数の「華人」が押し入って、建国時やその後の文化大革命を通じて多くの虐殺が起こり、 今でも外国人の立ち入りは制限されている。 チベット族やウイグル族の反発は今でも激しく、モンゴル族では反攻しようにも殆どのリーダーが殺害されたと言う。

一党独裁政権の国が隣国とは、なんとも不気味だが、国の場所を移動する事はできない。

韓国の竹島に対するナショナリズムの高まりをみても、「たかが無人の離島」と言って済まされない要素がある。 我々の親の世代は、先の戦争での責任や自責の念もあってか、対応はいたって穏当だった。 それが今日を招いた面はある。が、だからと言って日本のナショナリズムを掻き立てるだけでは、問題の解決にはならない。

まあ、熱くならずに、淡々と日本の主張を世界に向って発信するしかない。

<K.K>


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