「文学横浜の会」
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2013年05月4日
「96条問題」
3日の憲法記念日、もう夏の参議院選挙の話題が報道されていた。
それによると憲法改正、それも96条の改正を与党・自民党の公約にするそうだ。
前回の衆議院選挙でも選挙公約にしたそうだが、ぼくはよく覚えていない。
いくつか並べた公約の中の一つなのだろうが、ぼくの記憶の中には残っていない。
前回の衆議院選挙では自民党の大勝だったが、それは自民党の選挙公約すべてを認めて選ばれたわけではないのは明らかだ。
民主党の不甲斐ない政権運営にうんざりしての結果だったに違いない。少なくともぼくはそういう認識で投票した。
現在の選挙制度では限られた政党、選挙区の中の候補者から一票を投じて選ぶ。
それもその時の雰囲気と言うかムードによって、つまり意識的にそうした大衆受けする問題提起をして、
まるでその事だけが選挙テーマであるような意識を作って選挙にする。
それが最近の選挙の流れのようだ。現在の小選挙区制度ではそうした流れを上手く作れた政党が大勝する。
だけど、待ってくれ。
・選挙の時には立派なことを言っていたのに、
国会が始まればその候補者の属している政策によって議員の主張とは異なる結果になる事がままある。
となれば国会内での投票時に政党による拘束はなくす法案をつくれ! と言いたい。
自分の主義主張を党で決まったことだからと簡単に捨ててしまう国会議員にも問題はあるが、
現在の小選挙区制度ではやむを得ない面もある。
で、今回の憲法問題も何やらきな臭い感じがする。
憲法に改定したい条文がある事は理解できるが、どうして最初に96条なのかが問題だ。
96条は憲法改正条項で、
現在の議論で96条のどこを変えたいかと言うと、「三分の二以上」を「半数以上」に変えたいらしい。
つまり容易に憲法改正を国民に直接問うことができるようにしたい、との意図らしい。
この意見にぼくは反対だ。先にも言ったように今の選挙制度では雰囲気と言うかムードに流されて選挙結果は大きく揺れるし、
この96条がどうしてこのような条文になったのかを考えなければいけない。じっくり考えて変えるものは変えるようにしているのだ。
時の権力者に都合いいように、権力者が変わるたびに憲法が変わるようではいけない。そうした条文なのだ。
現憲法にいろいろ問題があるのは確かだ。
一部言われるように、自己防衛の権利が明確でないというなら、それを正す改正を明記すればいいし、それが筋だと思う。
まず96条の改正からといった向きには、何か裏に隠された意図があるように思えて仕方がない。
<K.K>
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