「文学横浜の会」
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2013年06月6日
「梅雨入り宣言はされたが…」
梅雨入り宣言されてから晴日が続いている。
雨が降り続くと鬱陶しいが、降るべき時季に降らないと気になる。
猫のひたい程度の家庭菜園だが、水遣りにも気を遣う。専業農家ともなれば尚更だろう。
そうして育てた作物も、形が悪いとか言われて安値を付けられては踏んだり蹴ったりだ。
だいたい都会の人間は農業の価値を知らなさすぎる。
元を糺せば祖先はみんな農業をしていた。食べるために働き、農業をして自ら生きるための食物を栽培していた。
つまり農業をしていた。
それが現在は農業従事者は少なくなり、多くは都会と言う地域で仕事をして賃金を得、農作物を購入して生きている。
生きるために働いている事には変わりないが、お金があれば何でも買えると思い込んでいるのではないか。
そんな考えが主流になったのは、日本で言えば明治維新以降から徐々に始まった。
つまり人類史上の長さで考えればほんの最近の事だ。
農業技術の進歩でそれが可能になったのが主な理由だが、物流の発達で他所から調達できるようになったのも大きい。
それはいいが、食料を外国からの調達を前提に考えるのは間違いだ。
そうした政策は聞いていないが、主食だけは何としても国内で賄えるようにすべきだ。
聞くところによれば小麦の多くは輸入に頼っているとの事。主食を昔のようにお米にするとなれば今の生産量では足りなくなる。
日本の農業を支えている農業従事者の平均年齢は60歳を超えていると言う。
本来なら定年退職の年代で、そうした事からみれば日本の農業は既に衰退したとみるべきだ。
ここは思い切って会社制度を導入したりして、若者が魅力を感じる農業政策を奨める時だ。
政府もここに来て農業政策に本腰を入れるとの事だが、せめて主食は国内で賄える体制を維持する政策を望む。
日本の農業政策は失敗の連続なのだから。
雨の少なさから日本の農業問題に話が飛んでしまったが、ヨーロッパでは雨降り日が続いて、被害が出ているとのニュースだ流れていた。
自然とは全く気まぐれだ。どんなに科学が発達して、予想確率が向上しても、自然の流れを変える事は出来ない。
我々は自然の中で生かされてる。
<K.K>
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