「文学横浜の会」
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2013年08月5日
「政党のあり方」
早いもので八月になった今、もう参議院選挙は過去のものになっている。
参議院選挙の結果をどう思うかはそれぞれ思う事もあろう。
予め予想された結果とも言えるが、意外な結果を目にしたのも確かだ。
一つには東京選挙区で、無所属の山本太郎候補が4位当選した事だ。
新聞の予想ではかなり有力だとの予想もあったが、民主党の候補を退け、
自民党候補より多くの票を獲得しての4位当選は民主党の分裂と言う事もあったが予想外だった。
そうした結果をどう思うかは一言では言えないが、既存の政治家に対する拒否反応もあると思う。
難しい問題が数々ある中で、しかも一票しか行使できない中で、既存の政党の中から選ぶよりか政党によらない候補者を、
との思いで択んだ方もいると思う。
政党は主義主張が同じものが集まる、と言うのは理想に過ぎない。
一つの問題で主張は同じでも、問題の多い現代では政党の中で意見はまちまち、
つまり個々の意見や信条が異なるのは当然だ。
選挙では自分の信条を吐露して当選しても、議場では党議拘束によって自分の信念とは異なる投票をせざるを得ないのが現状だ。
中には信念を貫く議員もいるが、それは少数で、なんとも情けない現状がある。
今の選挙制度では政党の公認を受けた候補者でなければ当選は難しい。
公認を外すぞ、と圧力をかけられればやむなく信念とは異なる投票をしてしまう。
政治家とはいえ、やはり弱いのだ。
嘗て日本が軍国主義に変質したのも、ドイツがヒットラーの狂信的な主張に席巻されたのも、
時代や状況は異なるとしても、同じような人間的な弱さがあったからに違いない。
自分の考えはそうではないと思っても、党の状況や流れからやむなく同意、と言う議員もいたに違いない。
そういう事を考えると、党議拘束と言うのは全面禁止、と言う法律を作れと言いたい。
どだい難しい問題が数多い中で、政党の全ての議員の意見が同じ、というのはあり得ない。
共産党や公明党のような政党はいざ知らず、資本主義を前提とした政党のあり方は全面的に見直す時期にある。
党議拘束をなくしたら決められない政治になってしまう、と懸念される方もあるが、果たしてそうだろうか。
むしろどうでもいい、つまり余りに問題が多岐に亘るので問題意識の希薄な案件を、与野党を問わず納得させれば、
賛否はっきりするのではないか。
一方、政党の意義がなくなってしまう、と言う方もいると思うが、どだい全ての問題で意見が同じと言うのはあり得ない。
では政党とは何か、と言う問題だが「どの問題を優先的にこう取り組む、と具体的に優先度をつけて表明した集団」
とのイメージでどうだろう。本来なら政党などなくてもいいと思うが、人間社会ではどうしても群れる習性はなくならない。
昔のような流れに絶対にしてはいけないが、歴史は繰り返すと言うから安閑としてはいられない。
<K.K>
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