「文学横浜の会」
エッセー
INDEX 過去のエッセー
2014年 3月10日
「マンション新築を見て」
マンションの新築工事を見て、いつも思うのだが、少子化で人口が減少していると言われているのに、売れるのかなぁ、と。
都心では消費税アップのタイミングもあってマンションの売上が伸びている、との報道もあるから、都心では売れているようだ。
私が住んでいるのは都心への通勤圏内とは言え、都心から50キロ程はなれている。
そんな土地でもやはりマンションの新築工事を見かけるから、それなりに売れているのだろう。
だからと言って全国でそんな状況だとは言えない。原因は地方からの都心への人口移動が続いているからだと考えざるを得ない。
それとは反対に都心でも空き家屋が数多くあると言う報道もある。
私の住む町でも、よく見ればそんな家屋が多くある。
考えて見れば、当然ではないだろうか。人口が少なくなっているのに、新しい住戸が増えれば、古い住戸が放置される。
人は利便性のいい場所へ、通勤に有利な場所へと移動する。
今、2030年問題が囁かれている。団塊世代が高齢者世代へとなる問題だ。
昔は親子世代が同居するのが普通だが、今やそうした家庭は少なくなっているようだ。
つまり高齢者の夫婦、或は独居が増えており、その傾向は変わらないだろう。
高齢者になれば、体力の衰えもあり、それなりの住環境が必要だ。
寿命が長くなるのは目出度い事なのだが、
痴呆症とか認知症とか、高齢になれば誰でもそうした傾向になるとの前提にならなければいけない。
人間は誰しも、自分は何時までも元気で、痴呆症とか認知症などとは無縁だと思っている。
そう言う状況になるとは思いたくないし、考えたくない。
考えたとしても痴呆症や認知症になってしまえば、自分は判らないから自分は関係ないと、冗談半分に言う者もいる。
私自身はもし自分がそう言う症状になったら、苦痛を伴わないように、命を止めてくれ、と書き残したいが、
知り合いの医者に言ったら、医者ははそんな事は出来ないと言われた。
で、生きるとはどういう事なのかと思う。自分が判らなくなっても、やはり生きていると言うのだろうか。
無論、自分が判らなくなる、とどう判断するのかと言う問題はあるが、
私自身の願望は願望として、高齢化はこれからの大きな問題な事は確かだ。
若い世代へ、大きなつけを残したまま、年齢だけを重ねたくない。
*
2月の2度の大雪にはうんざりした。 <K.K>
|
[「文学横浜の会」]
禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000-2004 文学横浜