「文学横浜の会」

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2014年 6月 5日


「集団的自衛権、について」

 日本は今、「集団的自衛権」をするのかしないのか、何処まで出来るのかで揺れている。

集団的自衛権は憲法に違反するのかしないのか、或は何処までが合憲なのかと、おかしな事に政治家が色々と議論している。 三権分立の観点からすれば、そう言う事は司法で判断するべきだと思うが、どうもそうではないらしい。

問題の背景には 「憲法改正は手続き的にも大変で時間がかかるから、中国の台頭や北朝鮮への緊急時対応に備えるため」 との判断があるのだろう。 巷間言われている、アメリカとの密約もあるのかも知れない。

従来は憲法の制限で我が国は「集団的自衛権」は出来ない、 との解釈が政治の判断だった。 それを閣議決定で変えよう、と言うのが昨今の状況だ。

でも、三権分立の観点からみて、それでいいのかと思う。どうして司法側からの判断の声が聞こえないのか。 閣議決定された後から、判断するのだろうか。それでは遅くはないか。

 集団的自衛権をどこまで認めるのかまだ定かではないが、力・武力で問題を解決しようとするのなら、反対だ。

このところテロの問題が大きな国際問題になっている。テロで犠牲になった人は多く、絶対にテロ行為は許してはいけないが、 テロが発生した経緯についてもよくよく考えるべきではないか。

テロとは自分をも犠牲にして目的を果たす卑劣な行為だとしても、そうしたテロに至った問題の背景を無くさなければ問題は解決しない。 例え宗教原理主義的なテロであったとしても、テロに駆り出される、 或はそう言う妄言に惑わされるような人を生み出すような社会では、 テロはなくならない。

今までの主なテロに結び付いた主な要因としては、 ロシアにおけるチェチェンへの強権、中国におけるウイグル地区等への強権、アメリカにおけるイスラム教国に対する過度なおせっかい、 等がある。

テロは、ある意味、巨大な権力によって虐げられ、或いは自分達の価値観を抑え込まれた民衆の憎しみをかった結果でもある。 そうした事がテロを生む温床になっているのは間違いない。 それぞれ歴史的な背景は異なるが、現政権による強権的な政策がテロを招いたとも言える。

そうした事を考えると日本がアメリカに追随して世界中何処にでも、と言う発想には絶対に反対だ。 どうしても必要と言うのなら、日本の領海内、あるいは警護に関係した集団的自衛権に限定すべきだ。 そして現地人の憎しみを誘発させるような集団的自衛権なら、即刻中止できる仕組みも必要だと思う。

もしそれが憲法違反と言うのなら、直ちに憲法を改正すればいい。それぐらいなら反対は少ないと思うのだが。

<K.K>


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