「文学横浜の会」
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2014年 9月 5日
「これからの世界」
今年は猛暑がだらだらと続く、と言った感じではない。
その代わりと言う訳ではないだろうが自然災害のニュースを多く耳にする。
それも「かつて経験した事のない」と言うような枕言葉が多いのが気になる。
豪雨により多くの犠牲者を出した広島市ではまだ捜索活動が続いており、二次災害を避けながらのボランティア活動も続いている。
そうした豪雨・長雨の地区がある一方、全く雨が降らない、降っても例年より少ない、と言った地区もある。
日本だけそうしたばらついた現象なのではなく、世界のニュースを見れとそれは地球規模で生じている。
或る広大な地区では何ヵ月も全く雨が降らなかったり、ある地区では長雨・豪雨による洪水で大きな被害を出している。
これらは二酸化炭素の排出による地球が温暖化の影響なのだろうか。
それとも地球自体の環境変動の一部なのかは議論されるところだが、人間による自然環境の破壊が無関係だとは言えない。
では具体的にどうすれば二酸化炭素の排出は減らせるか、となると中々先に進まなくなる。
中国やインド、或は東南アジア諸国の発展によって、地球環境の破壊速度は益々大きくなり、その影響は無視できない、
との意見もある。確かに、中国とインドだけでも人口は26億以上になり、
この二国だけでも米国を含めた西欧先進国や日本の人口の2倍以上だ。
先進国と同じような生活を求めようとすると、所謂、二酸化炭素の排出量は爆発的に多くなるのは明らかだ。
かと言ってそうした流れを止める事はできない。
国家と言うのは、どの国家も自国本位で、自国の利害が何より優先する。
それは先進国と言われる国々もこれから先進国の仲間入りをしようとする国々も同じだ。
二酸化炭素の排出を地球レベルで規制しようとしても、今の状況では絶望的に難しい。
二酸化炭素の排出量を抑制する為に、原子力発電所を利用しようとの動きもある。が、それが正解なのかどうか疑問だ。
最大の危惧は使用済み核燃料の保存問題だ。
今の技術では人体に無害になるまで10万年間隔離保存しなければいけないと言う。
よくよくは100年ぐらいで無害にする研究をしているようだが、まだ目途はたっていない。
大きな戦争はここ70年間たえてないが、この先も大きな戦争は起きないと誰が断言できよう。
起きないにこした事はないが、残念ながら大きな戦争は起きないと誰も断言できない。
寧ろ千年二千年のレベルで考えれば起こると考える方が自然だ。
そうなると、幾ら核弾頭の使用は禁止されていても、間違えて核保存施設に爆弾が落ちないとの確証はなく、
核爆弾の攻撃に晒される危惧は付きまとう。
どうしても核燃料を使用したければ、最小限「100年ぐらいで無害にする研究」が進んでからにしてはどうか。
つまり全世界の英知を集めてそうした研究を進め、
よくよくは人類が放射能をコントロールできるようになってからにしてはどうだろう。
そうなって初めて人類は核燃料を手にしたと言える。
だけど、電力を作る費用を考えると、国は原子力発電を止めることはしない。
増加する電力需要のために、特に後進国と言われる国々では原子力発電への指向は強く、
核燃料の使用を止める事は出来ないだろう。
となると、地球の未来は悲観的になる。
自然災害は益々「これまでにない規模の…」の災害が襲ってくる可能性は高くなるだろう。
具体的には、広島で起こった崖崩れのような災害は日本中で起こる可能性がある。
ならば、我々としてはそれに備えなければならない。
幸いにと言えば語弊があるかも知れないが、日本は少子化に向かっている。
と言うことは、これからはそんなに多くの家屋は必要ないから、
何も山際の住宅地としては問題のある場所に家を建てなくてもよくなる。
少子化少子化と言って慌てなくてもいい理由だ。
そんな事を考えるのは甘いだろうか。
<K.K>
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