「文学横浜の会」
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2015年 1月 7日
「1月、雑感」
いやいや、年末選挙で慌ただしく年の瀬を迎えた事がまるで無かったかのような年初だ。
そう感じているのはぼくだけではあるまい。
選挙をした結果が前とあまり変わらなかったからそう感じるのだろうが、となれば何のための選挙だったのかと思う。
政権が安定しているのは日本にとって良い事だ、とは思うが、その安定も投票率の低さを思えば何か白けた感じもする。
投票率が低いと言う事は、一定の熱心な支持者を持っている政党には追い風だ。
現に共産党の躍進、創価学会の熱心な支持者を持つ公明党と、公明党の支援を受けた自民党の圧勝に終わったと言う事だ。
まぁ、これも民意だと言えばそう言う事なのだろうが、何か釈然としない。
と思いながら、去年は何を書いたかと読んでみた。こんな私でも、日本の行く末にはそこはかとない問題意識があり、
それを書いているが、この一年でそうした問題について果たして将来の明るい見通しはたったのだろうか。
巷間言われている、今日本の抱えている大きな問題としては、
これと「少子化」と言うことも大きな問題だと取り上げる方もいるが、私はそうおおきな問題とは思わない。
確かに地方では将来消滅してしまうだろう町村も出て来るとのレポートが出て、大きく取り上げらられたが、
国土面積の割には人口が多すぎる、と昔は言われていたのだ。
ならば適正な人口とはどのくらいか、との議論も出て来るが、そうした議論は無意味だ。
無意味と言うより、根拠のない事を議論?しても意味がないと言う事だ。
要は国民が生きがいを持って?平和で幸せに生活できればいい。
少子化が問題視されているのは、あくまでも財政的な面、そして子供が少ないとなんとなくさみしいと感じるからだ。
こうしてみると少子化問題を含めて、日本の抱えている問題は財政に関する事だと解る。
財政面で問題なのは、人口が多かった、所謂、
団塊世代と呼ばれる人達が成長して行く時代の日本のシステムをづっと続けてきた結果だ。
今はもうそんな馬鹿なことをしていないだろが、国の道路を造るのに、
将来予測として人口増加率を昔のままの数値を用いてづーっと予算措置をしてきた。
無論その全てが無駄とは思わないが、予算の分捕り合戦の中で、国としての計画性が欠如していた事は否めない。
現政権の政策を国の借金の事だけで見れば、
アベノミクスとやらで、円の値打ちを下げる為に国債をこれでもかと言うほど発行している。
当然、国の借金は益々膨らむ。
自国通貨(円)の値打ちを下げる政策とはおかしな事だと思うが、それによって輸出企業が儲かると言うのだろう。
企業が儲かれば税収が増え、景気も良くなる、デフレも解消されると言っている。
でも、そんなに世の中、単純なのだろうか?
もし成功したとしても、果たしてそんな政策を続けていて良いのか、とも思う。
低開発国と言われる国々に製品を輸出して稼ぐモデルはもう通用しない。
低開発国と言われる国々に工場を造ってそこの国の国民を雇って製品を造るモデルがこれからの企業ではないか。
一方通行で儲けるだけではなく、相手国にも利益(この場合には雇用)を与えるようなやり方こそ、
これからの方向性ではないだろうか。
つまり国の借金を減らすには、方向性から言うと、お金を多く持っている国民・企業からの税収を増やし、国の支出を抑える。
それしかないように思うのだが…。
それとも、ハイパーインフレ、……これだけは勘弁してよ。
<K.K>
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