「文学横浜の会」
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2015年 4月 6日
「地方選、始まる」
今、地方選挙が行われている。私の処では県知事選挙と県会議員選挙が行われている。
市長選挙と市会議員選挙も行われるのだろうか?
正直言って、こうした人たちが何をしているのかちっとも分からない。
国会議員ならマスコミにも取り上げられ、時折議場も放映され、面白くもないパフォーマンスとも思える議論も放映されるから、
何を議論し何が問題になっているのか、何となく分かったような気持ちになる。
だけど県・市の長や議員となると、先に問題となった”号泣議員”ではないが、
不祥事でも起こさなければマスコミに取り上げられることも殆どない。
沖縄県のように、国に対して果敢に異を唱えるようなこともまずない。
片山・元鳥取県知事や浅野・元宮城県知事、増田・元岩手県知事のように全国に知られた知事はいるが、
それは殆どその職を終えてからだ。在任中は何をしていたのか、恐らくそこの県民も知らなかったのではないかと思う。
それは県民や市民が関心を持たなさすぎる、と言うのもあるかも知れないが、
知らせるシステムが不足しているからだと思えて仕方がない。
私のいる処では三月に一度ぐらい県政・市政のチラシが配布されるが、ちらっと見出しは見るが読みやしない。
読んでも具体的に現在の暮らしにどう影響するのかチンプンカンプンな事が多いからだ。
そんな何をしているのか分からない議員達だが、何百万円、或は千万円を超える俸給を得ている。
その金額が多すぎるのかどうかは別に、
市・町の財政に占める、そうした議員俸給は今のような借金財政の中では無視できない金額なのは確かだ。
”号泣議員”のような不正支出も多くある、と言う。
多くの市町村で議員の支出内容が全て公開されていないのだから、そう言われても仕方がない。
議員達の俸給は、薄給の労働者達が収めた税から出ていることを忘れるな、と言いたい。
私の持論は固定した地方議員はいらない、と言う事だ。
理想的には男女各年代から案件毎に議員を募る。無論、必要な交通費や日当等の対価は支払う。
募集するとなると、その手の主義者や宗教団体の関係者が多くなる懸念があるから、
?裁判員制度のように、予め対象者を登録、或は決めておいて、その中から案件毎に抽選して選ぶ。
人数は男女、年齢とも平等に選ぶ。選ばれた人がやむを得ず参加できないなら、再度抽選をし直す。
勤め人なら会社は休暇を認める。必要なら専門家を有償で雇う事もできる。
そんな制度が出来ればいい。
見ていると、選挙の好きな人がいるようだ。出たがり屋の人もいるようだ。
地方議員の場合は選挙報道?も少ないから、目立ちがりやの立候補は少ないが、
それでも選挙の好きな人、或は国政への野心のある人が立候補する。
本心で地方行政に関わりたいと思っている人は何人いるだろうか。
こう言う時期になると、挨拶に来る人が増える。
大抵、町内会関係者が連れてくるのだが、宜しくお願いします、と言う。
当方も、わかりました、とは応えるが、何も分ってはいない。
ただそう言っておいた方が無駄な時間から早く解放されるからだ。訪問者はそそくさと候補者チラシを置いて帰って行く。
市会議員となるとその手の訪問者が多くなる。
今はどうか知らないが、地方によっては”物”や”お金”を置いて行ったらしい。
私のいる処ではそんな習慣はないが、もしそんな事があったら遠慮なく幾つでも貰ってやろうと思うのだが、
それがないのが残念!
<K.K>
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