「文学横浜の会」

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2015年 6月 6日


「民主主義って ?」

 民主主義について考えてみた。過日の大阪での大阪都構想についての大阪市長の発言が頭に残っていたからだ。

橋下市長は敗北を受けて「民主主義っていいですね」と言った。 確かに、どう言う手順で最高指導者が選出されるのか判らない中国や、 今もって封建時代を思わせる親子による権力移譲の北朝鮮等と比べると遥かにクリアーで国民全体で権力者を択び、 良否を決めていると言う努力は窺える。

先の橋下市長の発言は「大阪都構想」と言う一つの問題に対する大阪市民の賛否を直接問う選挙での発言だが、 だからといって「民主主義っていいですね」との発言に違和感を感じたのだ。

民主主義とは、ぶっちゃけて言えば多くの人達がいる集団での物事を決める方法として、多数決による決め方だ。 今ではその方法が最良手段、或はそれに代わる手段が見つからない手法として多くの国で用いられている。

最も、民主主義とは言っても国の成り立ちや歴史が様々な事から、民主主義の形は違う。 代表的な例としてはアメリカにおける大統領制としての直接民主主義、イギリスにおける議会が行政の長を選ぶ間接民主主義、 の二つがある。権限のあり方や議会議員の選び方が国よっても違うから民主主義と言っても様々だ。

つい最近のイギリスの総選挙の結果や、日本の総選挙の結果を思い出して「何かおかしい」と感じた方も多かろう。 この二つの国は議会議員を選ぶのに小選挙区制をとっている。 この制度では例え有権者の20〜30%程度の支持であっても議会の過半数を占める事が出来る。 つまり国民の30%程度の支持を得た政党の出す政策を推し進める事も可能なのだ。

特に日本の総選挙では投票率が50%代と低く、有効投票の30%代でも議会の過半数を占める事が可能で、 つまり全有権者の20%にも満たない支持でも過半数となれる。 最も、投票に行かない有権者が悪いので、そう言う人は誰が代表になってもよいのだから、 間接的な支持だと言えなくもない、と言う人もいる。

所謂、小選挙区制で1選挙区から1名が選ばれると言う仕組みで、何名かが立候補した場合その中の1名だけが選ばれる。 これだと投票者の30%程度の支持でも当選してその選挙区の「声」と言う事になる。 だから全選挙人の支持が30%に満たなくとも圧倒的な議員を獲得できる、と言う構図なので、 議会での多数派が国民の声だ、と言うのは「ちょっと、おかしくはないか?」と言う事になる。

小選挙区制の利点として「物事が早く決められる」と言う事が言われるが、 何でも早く決めればいいと言う事ではあるまい。

私自身について言えば、最近の思い出す投票と言えば、白紙、思いついた有名人の名前等、つまり投票したい人がいないのだ。 何人も立候補していればよりましな方を投票する手もあるが、2,3名の立候補ではそれさえいない場合がある。

有権者の年齢が18歳に引き下げられると言う事だが、私は懐疑的だ。幾つになっても物事が解っていない大人が多いのに、 年齢を下げれば、更に物事の良し悪し、人物の良し悪しの判断できない人を多く選挙に引きずり込むようなものだ。 最も、現代のように複雑化した世の中で物事の良し悪しが本当に解っている人などそう多くはいない。 立候補者だって全ての政策についてどこまで解っているのか疑問だ。 ましてや人物の良し悪しなど、限られた期間で解る筈もない。

有権者の年齢を下げた理由は、うがった見方をすれば、国の借金は今や1千兆円以上になり、 現世代では返せないから今の若い世代にも影響を与える事は確実で、 早いうちから政治システムに参加させて責任の一端を負わせる事ではないか。 そうすれば将来財政が破綻するか大増税をしなければならなくなった場合「君達だって政治システムに参加していただろう」 との口実は出来る。

 話が色々な方向に行ってしまうので元に戻るが、 先の橋下市長は「民主主義っていいですね」と言うより 「取り敢えず結果は出ました。それで財政の無駄が亡くなるのか、大阪が良くなるのか見守りたい」 とでも言えばよかったのだ。

民主主義と言っても議員の数が多ければ、必ずしも国民の多数派だとは言えない。

<K.K>


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