「文学横浜の会」
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2015年 7月 5日
「難民問題」
ヨーロッパでは中近東やアフリカからの難民が押し寄せ、
東アジアではロヒンギャ族と言われる難民問題が大きく取り上げられている。
そもそも難民が生まれるような国がいけないのだが、歴史を遡ればただその国を非難すればいいと言えない理由もある。
民族や宗教等色々な原因で国内が混乱し、その国で虐げられたり生命が脅かされている人々が難民となり、
安寧を求めて危険を冒し、或は命の危険をおかしても他国へ逃れようとする人たちが今問題になっている。
ヨーロッパを中心とする諸国では人命救助或いは人道支援の観点からこれまでも積極的に難民を受け入れてきたのだが、
ここに来てその数の多さに今までのような対応でいいのかとの疑問の声が上がってきた。
そもそも現在混乱している中近東やアフリカは、過去、西欧諸国に植民地支配と言う負の歴史がある。
西欧諸国は過去の反省から積極的に難民を受け入れてきた面もあるのだが、これ以上の難民はもう沢山だ、との声が大きくなった。
善意から受け入れた難民も、世代が変わればその国で生まれた難民世代となり、その人たちがその国で疎外感を持つようになり、
今問題のISへの外国人兵士、或は国内でのテロリストの温床になっている。
皮膚の色も宗教も違う難民が、その国に溶け込むには何世代も掛かるのだ。
日本では元々国策として難民の受け入れには高いハードルを設けて、難民の受け入れを制限してきた。
そうした政策は国際社会または国内の人道支援団体からは是正を求められているのだが、国は国策を変える風はない。
大陸とは地続きになっていない事もあって、西欧諸国と比べれば不法入国者の数も少ない。
だから日本は西欧諸国のような難民、移民問題或いは民族差別の問題はないかと言えば、そうではない。
今でこそ無くなったと思いたいが、過去の朝鮮統治の負の歴史を引きずって、
国内に多くの在日朝鮮人がおり、民族差別問題もあった。
国籍やそれぞれの民族意識もあってお互いに蟠りなく溶け込むのは難しいのだが、
戦後70年、在日朝鮮人もおよそ3世代になって、なんとか問題が薄れてきたと言うのが実情ではないか。
ルーツを辿れば同じ朝鮮、中国大陸系の同じような民族なのに、
異なる民族が蟠りなく一緒に生活できるようになるにはそれだけの時間と互いの努力が必要なのだ。
そう言う事からも西欧諸国の人々が、皮膚の色も宗教も異なる中近東やアフリカ諸国から来る難民を嫌悪する気持ちは理解できる。
一方で民族差別反対や人道主義の考えは理解している。
が、これ以上の難民受け入れは御免だ、と言うのが本音なのではないだろうか。
日本にも西欧諸国からの難民をもっと受け入れろとの圧力は強くなるだろうが、
日本は従来の政策を変える様子はない。
日本の少子化問題から難民をもっと受け入れろとの声も聞くが、それは別次元の問題だ。
仮に難民を受け入れるにしても確かにサポートできる数に限定し、
難民世代が不満分子にならないようなサポートも必要になるだろう。
それとは別に、難民が自国を離れて生活するのは本当に幸せなのだろうか? <K.K>
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