「文学横浜の会」

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2016年 3月 8日


「シリア難民を受け入れては?」

 難民問題についての考えた。

難民問題が発生するのは、その土地に住んでいる人達がが何らかの原因でその地で安全に生活できなくなり、 その地から離れなければならなくなった状態、つまり今のシリアの国民に当てはまる。 そしてその「何らかの原因」には色々あり、人類がこの地球に存在してから難民と言う名の民族移動は、現代まで綿々と続いて来た。

より良い生活を求めて民族が移動する事もあるだろうが、それは難民とは言わない。、

難民が発生する原因としては、他部族や勢力から逃れるためのやむを得ぬ移動や、気候変動による移動もあっただろうし、 はたまた火山大噴火等の地域的な自然現象による民族移動もあっただろう。近現代史上では政治的な混乱が原因だった事もある。 そうして我々人類の先祖たちはこの地球の中で移動を繰り返してきたと言える。

今でこそ何々国とか何々人とか言われているけど、元々そう言う国があったのでもなく、人がいた訳ではない。 永い人類の移動の結果が現在の「国」であり「何々人」なので、今もその動きは続いているのではないか。

例えばアメリカを見てみよう。僕が小さい頃、今から50年ほど前、アメリカ人とは西洋人か黒人しかいないと思っていた。 実際は東洋人や中南米人或いは原住民もいたのだが、少数で、アメリカ人のイメージにはなかった。 最もアメリカ人や西洋人、東洋人、中南米人とは言うが、そうした人種や民族がいると言うのではなく、 観念的、感覚的に言っているに過ぎない。

そのアメリカ人だが、米軍基地の近くに住んでいる感覚から言うと、今は西洋人や黒人だけのイメージではなくなった。 つまり東洋系や中南米系の国民が増えて、アメリカの国民は必ずしも西洋人・黒人だけのイメージではない。 となればその混血も増え、何世代後には、いずれアメリカ人と言う民族も出来るのではないかと思う。

 我が日本、昔昔の日本は、と言うよりこの島は大陸や南方から、或いは北方から人類が移動して来て、 日本人が生まれたと考えられている。

現在の日本を見ても、移民には特別に厳しい規制をしているのだが、 特にスポーツや芸能世界で、色々な顔ぶれの日本人を目にするようになった。 日本の場合は移民と言うより、国際結婚によるものが多いのだが、ある意味、これも小さな民族移動とも言える。

と言う事は民族移動は今に始まった事ではなく、人類が出現してから綿々と続いているのであり、これからも続くだろう。 それなのに何故厄介な問題となるのかを考える必要がある。

問題となるのは短期間に、そして多くの人が移動することにある。 文化も宗教も違う人達が多く現れれば、その土地に棲む人達にすれば違和感もあるだろうし、 昔と違い人道主義による福祉予算を支出しなければならず、 難民として来た人達にどうしてその国が負担しなければならないのかとの不満もある。 特にISのテロに直面している欧州では、難民の急増による社会不安への恐怖もある。

そういう事があるにしても、やはり人類の移動は止める事はできない。 日本も難民受け入れは絶体にしない、と言うのではなく、 我々の先祖が移動してきたように、大きな社会不安が起きない程度に難民を受け入れるべきだと思う。

遠い将来、例えば日本列島で火山の大噴火が始まり、一時的にこの地で生活できなくなったら、 我々の子孫は移動しなければならなくなるかも知れない。 そんな事態には絶対になってほしくはないが、千年万年の歴史スケールで考えれば絶対に有り得ない事ではない。

そんな事より大陸での政変から難民が押し寄せるてくるケースの方が現実的かも知れないが、 日本の政変により他国に流れる事態だけはあってはならない。

<K.K>


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