「文学横浜の会」

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2016年 4月 5日


「シャープ問題から」

 経営危機が伝えられていた「シャープ」が台湾の新興企業の傘下に入った。

日本の少子化と共に日本の企業、特に白物家電企業の衰退は我々日本人には淋しい限りだ。 戦後の焼け野原から、アジアではいち早く立ち上がり、家電企業は世界に羽ばたき、確固たる地位を築いた筈だった。 それなのにシャープに限らず日本の白物家電は、今、見る影もない。

衰退した理由は企業それぞれに異なるだろうが、それぞれの成功体験を引きずった結果に違いない。 一度成功すると、その成功が高ければ高い程、生半可な経営者には、社会や経営環境の変化に対応したた変換ができない。 それは企業だけでなく、個人にしても、国にしてもそうだ。

例えば日本の歴史を振り返れば、明治維新の成功体験が、無謀な大戦を引き起こし敗戦と言う結果を齎した。 戦後の混乱からいち早く立ち上がり家電産業や自動車産業が興隆を極めたが、 環境の変化に対応できずに家電産業が衰退したと言う事か。 歴史を見れば繁栄と衰退は繰り返し、まさに奢れる者は久しからずだ。

 一方、政治の世界では消費税10%への課税が先送りされるとの憶測が囁かれている。

8%から10%への増税はどうでもいい事だ、とは言わないまでも、それほど大きな問題だとは思わない。 確かに支払いが増えるのは癪だが、必要最小限の買い物をすればいい事で、今の財政事情を思えば、 その中から税金を支払うのは仕方がない。それより軽減税率なんて導入される方が問題で、 軽減税率を議論するより、本当に貧しい人達への支援をどうするかの方が喫緊の課題だ。

だいたい消費税10%への引き上げをしなくてはいけない程の借金を抱えているのに、そんな悠長な議論をしていられないだろう。 それなのに政治家は国民の歓心をかうばかりで、国の本当の財政事情を国民に知らせないから、 国民の不安は増すばかりで、コツコツと貯金に励むでいるのが実態ではないか。

だけどそう言う議論はここ何十年も続いていて、「狼が来る」ではないが、国の借金問題についてはもう不感症になっている、 と言うのが大勢ではないか。こう言う事になった責任は与野党含めて国会議員にあるのだが、 そう言う国会議員を選んだ国民の責任、と言う事でもある。いずれの責任でも、このままではいけないのは明らかなのに…。

 国の財政問題と同時に、少子化問題も何年も前から続いている。戦後に生まれた団塊世代からその子供の世代、 またその子供の世代が今まさに子供を産む世代に当たる。 つまり戦後から三世代、凡そ70年余りを経た訳だ。

地域的な偏りはあるのだろうが、市町村によっては小学生のクラスを維持すのにさえ四苦八苦する小学校もあると言う。 一昔前、いやもう二昔前になるか、「こんなに狭い日本にこんなに人が多くては、」等と言っていた頃が懐かしい。 あの頃は人口は増える一方で、国の予算にしても、増える事を前提に考えていた。 予算を増やすには人口増が大義名分で、出生率が低下していても、そうした考えが続いて、 コンクリートに象徴される予算を増やす口実にしていた。

そうした事だけが今の国の借金ではない。ここに来て福祉予算の急増で、国の借金は益々膨らんでいる。 出生率の減少で、将来予想される社会福祉予算が膨らむ事が判っていた筈なのに…。 それなのに「世界に冠たる」等と言い、二世代前に成功していた事例を、人口構成の変動にも関わらず維持しようとすれば、 国の借金は膨らむばかりだ。

シャープのような日本の家電産業の衰退を見るにつけ、日本はこのままでいいのかなと思う。会社の経営者ならぬ、 国の経営者が、時代や環境、つまり将来の人口構成にあった社会福祉政策に変えなければならないし、 政策に見合った税制を取り入れるべきだ。当然、国民への説明は欠かせない。

 どう言う根拠で言っているのか判らない原発設置に対して言う政治家の「世界で最も高い安全基準」や、 「世界に冠たる医療制度」との言葉もなんだか薄ら寒く聞こえてくる。 一昔前はそれで成功したんだろうけど、これから先はどうなるのよ、と言いたくなる。 失敗すれば会社の場合は倒産だけど、国の場合は…。

掛け声だけでは、どうにもならなくなってしまわないのかと、心ある者は歯がゆく思っているのではないだろうか。

<K.K>


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