「文学横浜の会」
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2017年 3月 6日
「クオーター制について」
各政党での候補者男女比を同じにする法案が今国会で成立する、との記事を見た。
成立したかどうかは不明だが、やっと日本でもそんな動きが出て来たか、との感想をもったが、
幾ら法案が成立したとしても、国会議員の比率がすぐ同じになるとは思えないのが、
こうした法案が国民の大きな声で出て来た法案ではない事が気になる。
人口減少による労働人口の減少を女性の活用によって生産性を上げようとの政府の魂胆が見えている。
日本は男女同権の国である。
そして男女同権が定着しているのなら、自ずとそうした法案を作る必要もなく、社会の隅々で女性も活躍している筈なのだ。
それが建前だけの男女同権で、実態はまだまだ男性優位の社会であるのが実態だ。
それでもぼくが社会に出た40年程前と比べると女性の立場は大きく変わったことは確かだ。
シングルマザーは今では珍しくなく、結婚してもそれで退職を迫られる事はなくなった。
少なくとも大っぴらに退職を迫るのは「ブラック企業」と世間も認めるようになった。
格差のない社会はないとは言うものの、いわれのない格差、不合理な格差は改めるにしくはないが、男女格差となると根は深い。
幾ら政府が頭ごなしに言っても、男女それぞれの認識の中に深く根付いているものがあり、
それを正すにはまだまだ時間はかかる。
男の側の意識の改革も必要だし、女の側の意識改革も必要だ。
男女同権の事で言えば、最高裁判決のありようがどうしても気になる。
と言うのは最高裁の判事の男女差、つまり数が圧倒的に男が多いのだ。
そんな中で男女同権に関する最高裁の評決で圧倒的に多い男の判事で物事が決められてしまうのは、なんとも不自然に思う。
例えば以前、うろ覚えだが「結婚後も女性が性を変えるのは本人の意志に任せる、つまり夫婦間の別姓は是か非か」と言うような法案の
憲法判断で、最高裁評決があった。
少ない女性の判事は全員合憲なのに、評決では圧倒的に多い男の判事により違憲となった事があった。
これも男女同数で評決したら違う結果が出た可能性もある。
国会議員の数を男女同数にするのなら、その前に最高裁判事の男女比も同じにすべきではないか。
少なくとも、男女同権に関する最高裁の意志決定では男女同数の判事で評決すべきだと思うのだが。
<K.K>
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