「文学横浜の会」

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2018年 6月 6日


「ミッシングワーカー」

 「ミッシングワーカー」と言う言葉を知った。
テレビのドキュメント番組を観て知ったのだが、色々考えさせられた。

初めて聞く方のために説明すると「まだ働ける年齢なのに親の介護のために、職場を離れざるを得なくなり、 何れ親は亡くなる訳だが、その頃には介護していた子供(男であり、女であれ)は高齢になって働く意欲を無くしたり 働き先が見つからなくなる労働人口でありながら、失業者としてカウントされていない者」と言う意味だ。

つまり求職活動をしないままに、或いは出来ないままにいる働ける年齢の者達のことであるが、 その推定人数は100万人を超え、現在求職活動をしている数に等しいと言う。

現在の中高年の親の世代は、老後は子供に面倒をみて貰う、と言う教育と、或いは社会通念の元にあった。 そうした親の世代が高齢化して子供頼らなくては生きられない、と言う現象で、全国各地で起こっている。

なんとも深刻なテーマだ。 中年の段階で親の介護に迫られて、退職して介護に専念すれば、その間の収入は断たれてしまう事であり、 その間は親の年金で細々と生活、と言うケースもある。 親が生きている間はそれでも遣り繰りできたにしても、親は何れは確実に亡くなる。 つまりは介護している方の生活費は断たれてしまい、介護している方もいずれは老後を迎える。

今の日本の社会では高齢になり、長らく働いていない者がすんなりと働ける環境にはない。 そうした者達を再教育するシステムも整っていない。

政治の世界では華々しいキャッチフレーズが飛び交う。 やれ「総活躍社会の実現」とか「高齢者の介護は出来るだけ自宅で」とか、これらはいずれも国の都合からきている。

「総活躍社会の実現」とは言うものの子持ちの若い母親が働くためには、子供を預ける施設が不足していたり、 高齢者を自宅で介護するには誰か家族が居なければならない。核家族化している今の日本の社会では老々介護は当然として、 まだ中高年の家族しかいなければミッシングワーカーになる可能性が高くなる。

考えてみれば、日本の年齢構造をみれば、そうした問題がでてくるのはある程度予想できる。 そうした想定のもとに対処法を考えてうえで政策を進めないと将来に大きな禍根を残す事になりはしまいか。
将来、生活保護受給者を増やすような政策をしてはならない。

時に政府は「骨太の方針の方針」だとか標榜して将来への政策を示すが、実施に当たってはその負の面も考慮してほしい。 物事には必ず負の側面もあるのだから。

心地よいキャッチフレーズだけの政策にしてはならない。

<K.K>


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